オープン・シークレット 世界はあなたの心
「上なるものの如く、下もまた然(しか)り」
この言葉は、西洋占星術の基本原則「万物照応の法則」を端的に言い表す人類史上もっとも偉大な格言の一つです。
もしこの深遠なる格言を知らずに占星術師をやっている人がいたら、それはもう「無免許運転」ぐらい恥ずかしいことなんですよ。
でも、他の占星術師たちとこの法則について語り合おうとすると「え? 何ですかそれ? そんな言葉は初めて聞きました」と言われることがあります。おーい、大丈夫かー(笑)?
ヒドイ人になると「占星術は古代の統計学なんです」とドヤ顔で私に説明する人さえいますが、紀元前の人間が国勢調査をした記録なんて一切ありませんので、これは完全な間違いです。
占星術とは「ある人物」によって「ある日、突然」にこの世にもたらされた奇跡の御業(みわざ)であって、その人物が発見した運命の基本原則が「万物照応の法則」なのですね。
これは「赤信号の時は必ず車を停止しなければならない」という交通ルールと同じぐらい基本的な原則なので、これを知らない人が占星術を使ってカウンセリングをしたら取り返しのつかない大事故を起こしかねません。
たとえば、ホロスコープの致命的な読み間違いによって「依頼人が破産する」とかですね。
まともな占星術のテキストであれば、大抵は最初の1ページ目か2ページ目あたりにしっかり書いてありますので、そこは飛ばさずに必ず読んでくださいね。
たとえば、秋月瞳の著作「決定版西洋占星術・実修」だと、2ページ目に「マクロコスモスである宇宙の状況が、ミクロコスモスである人間に投影される」と書いてあります。
言語表現は違いますが「万物照応」と意味はほとんど同じなんですよ。
他にも、鏡リュウジ、岡本翔子、石川源晃、松村潔のような高名な占星術師の解説本には必ず「万物照応の法則」についての詳しい説明が表記してありますので、まずはそこをがっつり学んでから具体的な解読のテクニックに移行してくださいね。
古代において占星術師を意味する言葉であった「マギ」は、もともとゾロアスター教の「聖職者」を指す役職名でした。
だから、イエス・キリストの誕生を予言した3人の聖者(東方より来たりし三賢者)のことを新約聖書では「マギ」と表記しているんですね。
つまり、「神のメッセージを人間に伝える役目を背負った仲介者」こそが占星術師なわけですから、一番大切な教学部分を勉強せずに安易に占星術を使うことは本来「決して許されないこと」なのです。
あなただって、手先が器用なだけの「無免許医師」に手術してもらうのは嫌ですよね? それと同様に、その占星術師がどれぐらい信用できるかは「哲学部分の理解の深さ」によって計られるべきことなのです。
占星術師は競馬の予想屋とは違いますし、クライアントの言葉の「傾聴」を基本とする心理カウンセラーでもありません。
私たち占星術師が解読するのはあくまでも「天体の運行」だけであり、相手の血筋とか学歴、職歴のような「事前の個人情報」が一切なくても依頼主の心の内に埋め込まれた「運命」を読み説くことができるのです。
つまり、その人の詳細な「出生データ」さえあれば、それ以外については全くのノーヒントでも、その人の現在の職業や今後の未来、運命の異性といつ出会えるのかなどを正確に言い当てることができるんですね。
むしろ、長々と「自分語り」をされると、依頼主に対して先入観を持ってしまう恐れがあるので(境遇に同情してしまうんです)、私は顧客から余計な事前情報に与えられることを好みません。
ちょっと冷たいように思われるかもしれませんが、「質問内容だけを簡潔におっしゃってください」と相手の身の上話を途中で制止することもあるほどなんですよ。
苦労話を聞いてもらいたいだけの人には不満そうな顔をされますが、誰かに話すこと自体が目的であれば私ではなく、傾聴の訓練を受けた普通のカウンセラーを頼ったほうがいいでしょう。
そもそもの話ですが、彼らが必死になって私に訴えて来る「可哀そうな自分」というストーリーは、本人の主観的な感想に過ぎず、それが第三者の目から見た客観的な事実とは限りません。
たとえば「私は理不尽にも恋人に捨てられました」と訴えて来たとしても、本当はその人自身の暴力的な行動が原因で「逃げられただけ」であることが事実だったりします。
でも、顧客は自分に不利な情報を私にワザワザ言わないので、あくまでも「私は不当な運命の犠牲者です」という被害者スタンスで相談して来るんですね。
「こんな可哀想な私を占星術で救ってください」というわけです。
ところが、その人がどれほど恋人に対して高圧的な態度を取り、相手の尊厳を踏みにじるような悪行を積んで来たかはホロスコープを見れば一目瞭然です。
なぜなら、天体の動きの中に最初からその人の行動原理のすべてが暗示されているからですね。そのような不当な扱いから恋人が逃げ出したのは当然の結果であり、それは神さまの意地悪によって生じた「理不尽な運命」ではないのです。
いつも言いますが「占星術師相手に嘘は一切通用しない」のですから、余計な自己弁護は無意味なんですよ。
民事裁判であれば、双方の証言を聞きながら、どちらの話に「真実相当性」があるのかを丹念に検証して行く作業が必要になりますが、私たち占星術師は最初から「魂の解答集」を持っているわけですから、そのような「無駄な手続き」を一切必要としないのです。
つまり、その人が恋人とその時期に別れてしまうことは、最初から「神のシナリオによって定まっていたこと」なんですね。
もちろん、ホロスコープに表示されているということは、そのような暴力的な行動を取ることも「抑えがたい衝動」としてその人の中に最初から埋め込まれていたものです。だからそれは「避け難く生じた結果」であり、本人の生き方を責めるわけには行かないのですが、「私は悪くない。悪いのは全面的に相手なんだ」という他責的な態度を取り続けると「負のカルマ」はいつまで経っても浄化されず、状況はますます悪化してしまいます。
この世界には「原因と結果の法則」というルールが存在します。東洋ではこれを「カルマの法則」と呼びますが、自分が置かれた現在の状況は「過去に自分が蒔いた種が、今の時期に芽吹いたもの」と判断するのですね。
要するに、現在あなたに起きているトラブルは「あなたが過去になした行為の結果」に過ぎず、すべては「起こるべくして起こっている」ということです。
兵庫県の斎藤知事はすべての問題について「自分は悪くない、対応はすべて適切だった」と言い張っていますが、自分を取り巻く状況がこれほど混乱しているのは「自分の過去のおこない」による当然の結果として生じているものであり、それを改善させるためには「これまでの自分の思考パターンを変えるしかない」のです。
トラブル自体が変革を強制するメッセージなのですね。
それなのに、駄々をこねる子供みたいにいつまでも「私は悪くない、悪いのはいつも他人だ」では、周囲と摩擦が起きるのは避けられませんし、負のカルマが浄化されないまま雪だるま式に大きくなりますから、「運命全体の流れ」との調和がさらに難しくなって行きますよ。
実際、失職以前は「パワハラ問題」と「公益通報者保護法違反の疑い」だけだったのに(ほぼ、道義的な問題のみです)、兵庫県知事に再選したことにより、非常に罰則規定の厳しい「公職選挙法違反」の疑いまでかけられる羽目になりました。
ヘタをすると「再び失職した挙句に逮捕・収監」まであり得ます。今回は、地検も県警も本腰を入れて捜査していますので、彼らのメンツにかけても「まったくお咎めなし」に終わるはずがありません。つまり、斎藤知事を取り巻く状況は「失職前よりも格段に悪化している」のですね。
運命が斎藤さんに求めていたのは「法的に正しかったかどうか」ではありません。彼の決断の一つ一つが「他者に対する愛に溢れていたかどうか」だけなのです。
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