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偶然は何一つ存在しない 汝の敵を愛せよ

偶然とは、まだ原因が特定されていないだけの必然である

これは古代ヘルメス学の「原因と結果の法則」を端的に表現する言葉ですが、仏教やヒンズー教にはこれと全く同じ理屈の「カルマの法則」が存在します。

どちらの哲学においても、この世で起こった現象には「必ずそれ相応の原因がある」と説かれており、それはつまり、この世に起きる出来事に「偶然は一切存在しない」ことを東西の賢人が高らかに宣言しているということなのです。

理論物理学においてもアインシュタインが「偶然とは神が匿名を希望しただけの現象である」と言い放ち、「我々が原因が特定できなかったとしても、そこには何らかの物理的法則が必ず関与している」ことを力説しています。

当然その理論は、あなたの容姿、生まれの環境、持っている才能についても、すべてが「必然の結果」であることを暗示しているんですよ。

あなたが生まれつき音楽的才能に恵まれているならば、それはきっと「前世も音楽を学んでいた」からでしょうし、貧しい環境に生まれたのであれば、前世は「農民を搾取する悪代官」だったからかもしれません。

努力や才能は「来世」にそのまま引き継がれ、非道なおこないは「運命の負債」として、やはり来世に結果が持ち越されます。
その「運命の収支計算」には一円の誤差もなく、法則は完璧に運用され、私たちの「日々の体験」を創り出しています。

なんと素晴らしき平等なシステムでしょう。努力や善意は決して無駄にならないわけですから「報われない努力」なんてのは本当は一つもないんですね。

誤解しないでいただきたいのは、カルマの法則は「懲罰システム」ではない・・・ということです。ただ単純に、自分の為した行動の「反作用」として現象が起きるだけであって、そこには「神の怒り」のような報復的感情は含まれていないのです。

だから「不幸な星のもと生まれた人」なんてのは一人も存在せず、すべては「自分の過去の行為の当然の結果」としての「今」があるだけなのですね。

「こんなヒドイ目に遭わなければいけないような悪いことをした記憶はありません」と私に抗議したい気持ちは理解できますが、全く原因のない状況で物事が発生することはありませんので、まずは「今の現実」をありのままに受け入れてください。

経営学者の田坂広志さんは常々「すべてを自分の責任として引き受けなければならない」とおっしゃっていますが、最初にこの「責任」を受け入れる覚悟を定めない限り、己の運命を改善する道は見えて来ません。

これは別に「自分のケツは自分で拭け」という現代的な自己責任論とは違いますよ。あれはただの「弱者の切り捨て」です。

そうではなく、自分の意思とは無関係に発生しているように見える「運命」に対して、もっと心を開きなさい・・・ということなのです。あなたには自分の運命を「創造する権利」が与えられているということを自覚して欲しいと田坂さんは訴えているのです。

たとえば、あなたがコインを適当に放り投げて「裏が出るか表が出るか」は、全くの偶然に左右されていると思いますか?

主観的な解釈で言えば確かにそれは偶然です。確率もちょうど2分の一ですしね。

でも物理学的に言うならば、本人の力の入れ具合、空気抵抗、コインの素材や重さなどの「すべての外的条件」をスーパーコンピューターに入力することができれば、どちらが出るかは極めて高い確率で予測可能になるはずです。

つまり、私たちが物事の結果を完璧に予測できないのは「原因となる外的条件のすべてを計算できないから」に過ぎないのですね。

すべての条件を考慮できないから「これは偶然だ」という言葉で誤魔化しているだけで、本来であれば「この現象は必然だが、今の私たちにはその原因が特定できない」と言うべきなのです。

「ただの偶然」という言葉に逃げてしまえば科学的思考ではなくなりますよ。

台風だって同じですよね?

気温、海水温、潮流の変化、偏西風の動きなど、すべての原因となる事象を計算することができれば「いつ、どこで、どの程度の規模の台風が発生するか」は確実に推測できますし、進路予想も完璧になるでしょう。

台風の進路予想が外れるのは「まだ考慮できていないイレギュラーな条件があったから」に過ぎません。今後、気象観測機器が発達し、インプットできる気象データが増えれば天気予報の精度も飛躍的に向上するに違いありません。

以前、「ラプラスの魔女」という日本映画がありましたが、あれには「すべての外的条件を読み取り、計算できる特殊能力者」の二人(広瀬すずと福士蒼汰)が出て来ます。

だから彼らには「いつ、どこで、どの程度の規模の暴風が起きるか」が完璧に予測できるんですね。その特殊能力を利用して福士蒼汰が「完全犯罪」を目論むのですが、科学者役の櫻井翔が「そんなの不可能だ」と何回も言ってるのが印象的な映画です(笑)。

確かに櫻井君が言うように人間には「すべての原因を特定すること」はできません。福士蒼汰の特殊能力はただのフィクションです。

でも「神」にはそれができますし、実際にその神によって「宇宙」は日々運行されているのです。今この瞬間も・・・ですよ。

映画「ラプラスの魔女」

だから私たちの人生に起こる出来事に偶然は一つも存在せず、すべては原因と結果の法則に従い「起こるべくして起こっている」のです。

今回はちょっと衝撃的な内容になるかもしれませんが、頑張ってついて来てくださいね。みなさんの倫理観や常識に反する危険があるため、私の意見に対して腹の立つことがあると思います。

でも、これこそが「この世の摂理」なのです。

たとえば、通り魔事件の場合。

精神的な不調を抱えた孤独な犯人が、たまたま目の前にいた通行人を衝動的に包丁で刺したとします。

これをニュースで聞いた私たちは「何の落ち度もない被害者が、理不尽にも暴漢に刺されてしまった」と感じますよね? 確かに、目に見える現象だけで判断すれば、それは「不幸な偶然の積み重ね」でしかありません。

刺した犯人にとって被害者は誰でも良かったわけですし、被害者がそこを歩いていたのだって「たまたま」に過ぎないからです。

誰もが「偶然」だと思いますし、事件の当事者である加害者や被害者でさえも、その点に関して疑問を差しはさむことはありません。

これは偶発的に発生した不幸な事件なのだ・・・と。

でも、本当にそうなんでしょうか?

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