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引きこもりの処方箋 魂の青写真

神聖な言語として知られているサンスクリット語(古代インド語)では、「真理」のことを「サティアン」と言いますが、この言葉には「存在」という意味が含まれています。

英語で表記すると「satyam」ですが、これは「truth」と「being」の両方の意味を含む、精神世界や哲学における最も重要なキーワードだったのですね。

つまり、古代インドの哲学者たちが到達した「生命究極の真理」とは「この世に永遠に存在し続けようとする衝動」だったことを明確に表現しているんです。

有限の命しか持たない人間が「この世に永遠に存在し続ける」ためには「自分の子孫を残すこと」が最も確実な方法です。そうすれば、自分が死んだ後も「遺伝子」という形でこの世に自分の血脈を残し続けられますし、それ以外にも「記憶」という形で自分の生きた痕跡を子孫たちに受け継がせることもできます。仏教国であれば三回忌、十三回忌・・・三十三回忌という感じで、少なくとも自分の死後33年間は「子孫に自分のことを思い出してもらえる機会がある」わけです(私の地元では100回忌までやります)。

この方法ならば「忘却による存在の完全な消滅」をかなり先延ばしにすることができますね。

私たち人間にとっての「完全な死」とは、この地上に生きるすべての人間の記憶から完全に消えてしまった時にのみ成立します。逆に言えば、あなたのことを覚えている「誰か」が一人でも生き残っていれば、あなたの生命(情報を伴うエネルギー)は「実質的にこの世に存在し続けている」とも言えるのです。

となれば、もし「子どもを残せない何らかの事情」がある場合には、「社会的業績」という形で自分の「生きた証拠」を後世に残すことが考えられますね。

宮沢賢治は、生前はほぼ無名の童話作家でしたが、死後、親しかった友人たちによって次々と作品ノートが発見され、それが世に公表されることで国民的な人気を得ました。

あの有名な「雨にも負けず・・・」の詩も、彼の死の翌年、友人たちが開いた「賢治をしのぶ会」の時に遺品の手帳の中から発見された走り書きのメモだったんです。

彼は生涯独身で子どもはいませんでしたが、友人たちの尽力のおかげで、賢治の死から90年たった今でも、彼は私たち日本人の「記憶」の中で生き続けています。

別に作家や芸術家でなくても、職人さんであれば弟子に「技術」を、学者さんであれば生徒たちに「知識」、宗教家であれば信者たちに「思想」を残すことで、「他者の記憶」の中で長く生き続けることが可能になりますし、誰もが無意識的にそれを目的に活動しているものなのです。

つまり、人間からウイルスに至るまで、すべての生命の目的はただ一点に集約されます。

この世に在り続けたい・・・・。

この生命の大前提を無視して、あなたが幸せになる道はありません。どんな手段を使ってでも、あなたは「誰かの記憶」の中に生き続け、間接的な永遠の命を得なければならないのです。

これは遺伝子に焼き付けられた「刻印」のようなものですので、この衝動に逆らうことは誰にもできません。あなたが意識していようがいまいが「在りたい、在り続けたい」という衝動に突き動かされて日々行動が選択されていることは厳然たる事実だからですね。

ところが、この「生命の絶えざる流れ」から完全に逸脱した生活をしている人達がいます。他者との接触を断って社会的に孤立している「引きこもり」の人達です。

内閣府の調査によると、現在、日本国内の「引きこもり」の人数は少なくとも115万人以上いるそうです。

これは大分県の全人口と同じぐらいだそうですから驚くべき数字ですよね?日本の人口全体に占める割合は約1パーセントですが、「家事手伝い」と名乗っている「実質的な引きこもり生活」の人を含めれば、人数はもっと多いかもしれません。

詳しい内訳は15~39歳が54万人、40~60歳までが61万人となっていますが、小学生でも不登校の子はいますし、60歳以上の独居老人で「引きこもりと同じような生活」をしている人は少なくないですから、社会との関係が断絶し、慢性的な孤立状態に苦しんでいる人はもっともっと多いと考えて間違いないでしょう。

となると、少子化対策よりもこの「引きこもりの人に対する社会的支援」のほうが緊急の課題のように思えます。この方々の中には「結婚適齢期」の人も多く含まれていますから、彼らの社会復帰を後押しすることによって、そこに「男女の新たな出会い」を生み出し、生涯未婚率を改善させる余地があるからです。

実は、運命学の観点から言えば「一生、自室に引きこもって無意味な人生を過ごす運命」を背負わされた人など一人もいません。

罪人でもないのに、なぜ自分で自分を牢屋に閉じ込めているのでしょうか?いや、ひょっとすると今の状態が「人生の牢獄」であることに本人が気がついていないだけかもしれません。

すべての人に「その人にしか担えない大切な役割」が与えられており、その活動を通して「自分以外の誰かの幸せに貢献すること」が天から求められています。この役割(使命)のことをインド哲学では「ダルマ」と言いますが、このダルマを生きることこそが、私たちがこの世に生まれた「唯一の理由」なのです。

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