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神さまと親しく会話しよう 天のソウル・ナビゲーション
もしも私たち一人一人の人生に「神の完璧なる計画」が用意されているならば、その計画の実行方法について私たちが「導きを求めること」は当然許されているはずです。だから「その計画の実現のために私は今、何をどうすればいいんですか?」と気軽に質問してもいいんですよ。
そしてその質問に対する「神のナビゲーション・メッセージ」を私たちがいつも上手にキャッチすることができるなら、人生に恐れるものなど何一つなくなるはずです。
なぜなら、現在・過去・未来のすべてを見通す「全能なる神の指示」が内容的に間違っていることなど絶対にあり得ないからですね。
その的確な指示に従えば、たとえ一時的に苦境の立たされることになったとしても、それは「最終的なハッピーエンド」に向かうための伏線になっているに違いありませんので、どんなに絶望的に見える状況の時でも大船に乗ったような安からか気持ちでいられるのです。
たとえば、あなたが二人の男性から同時にプロポーズされた場合、「どちらと結婚するのが御心にかなうでしょうか?」と神さまに質問すれば、何らかの方法で即座に答えが返って来ますよ。
エゴの声は「お金持ちなA君がのほうがいいかな」とささやくでしょうし、直感的には「貧乏だけど誠実なB君のほうがいいな」と感じます。甲乙つけがたいので誰でも迷いますよね(笑)?
どちらを選ぶかは結局その人自身が「結婚に何を求めているのか?」によって変わって来るんですが、同時に二つの人生を歩むことはできませんので、神の計画書に沿った「正解」は常に一つしかありません。
この場合、神の導きなしで配偶者を選択すれば「計画書通りの当たりを引く確率は2分の1」です。さて、そんなリスキーなギャンブルをする覚悟はありますか?
もしあなたが運命学的に「間違った決断」をしてしまったら、神の描いた完璧な計画全体に支障が出てしまう恐れがありますよね?
この間違いを未然に防ぐために神は私たちの質問に対して即座に返答する「義務」がありますし、実際に答えてくれているんですよ。
仮定でいいので、ちょっと考えてみてください。
とりあえず「運命の完璧なシナリオが存在する」と想定した場合、間違った相手と結婚してしまえば「本来生まれて来るはずだった子供」が生まれなくなりますよね? その子供が将来「人類を救う大発明」をする宿命を背負っていたりすれば、あなたの「一時の気の迷い」はそれこそ世界の命運を揺るがす大問題になりかねないわけです。
大袈裟なことを言っていると思うかもしれませんが、私たち一人一人の人生というのは、それぐらい「世界全体の成り立ちに大きな影響力を持つ可能性がある」わけで、絶対に失敗できない一大事業なんですよ。
例えて言うならば、あなたの人生は「一つの組み間違いも許されない緻密なジグソーパズル」なのですね。
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だから私たちは日常生活の些細なことまで遠慮せず、すべてを神に質問してその指示を仰いで良いのですし、絶対にそうすべきなのです。
それこそ「今日はうどんを食べようか? それともラーメンにしようかな?」みたいな軽い疑問も神に質問して構わないのですよ。だって、たまたま入ったラーメン屋さんであなたは「生涯の伴侶」に出会うかもしれませんので、人生のあらゆる場面において中途半端な決断をしちゃいけないわけです。
このような考え方を仏教では一期一会(いちごいちえ)と言いますが、その「運命の人」と出会えるチャンスは本当に「その日、その瞬間」にしかないかもしれないのです。
そう考えれば「うどんか、ラーメンか」という些細な決断の中に、どれほど大きな「運命の分かれ道」が含まれているかが理解していただけると思います。
「神の返信」はどんなシチュエーションでも必ずやって来ますが、その伝達手段には様々なパターンがありますので、質問した後は決してサインを見逃さないように細心の注意を払ってください。
たとえば、たまたま目にしたチラシ、通り過ぎる車のナンバー、隣の席の人の会話、配偶者の何気ない一言、心臓辺りに感じるモヤモヤとした違和感・・・あらゆるものの中に「神のメッセージ」が含まれており、私たちに「聞く気」さえあれば、それは容易に解読できるものなのです。
この解読テクニックを「象徴を読み取る」と言いますが、その気になればいくらでも日常生活の中で発見できるはずです。
面白いことにこの神の返信は「私たちが質問する前から、何を質問するかまでを完璧に予測して答えが用意されている」かのように絶妙なタイミングで返って来ます。
たとえば、私の場合。
農家は今ちょうど確定申告の時期ですので、私は自宅で「医療費控除明細書」を作成していました。
ところが、去年間違いなく行ったはずの「眼科医院の領収書」がどうしても見つかりません。あれ~、どこ行ったかな? 別に領収書がなくても控除申請は可能ですが、そもそも支払った金額がいくらだったか思い出せませんので書類に数字を記載できないんです。
別に一件ぐらいの「抜け」があっても控除額全体にそれほど影響はないですし(両親の分だけで80枚ぐらいあります)、この忙しい時期に書類一枚を探す時間がもったいないので諦めようかとも思いましたが、性格的に完璧主義なので「1件だけ記入漏れ」という状況がどうにも気持ち悪いんですね。
そこで私は「神にお願いする」ことにしました。
「どうか眼科の領収書が見つかりますように」
あとは神の返信を待つだけです。するとその祈りの直後、窓の外に郵便局の配達バイクが走って来るのが見えました。あ、まさか・・・と思って郵便受けを確認しに行くと、まさに私が求めていた「医療費通知書」が入っていたのです。
中を開くと、ちょうど領収書を失くした「眼科医院の明細」が一行だけ記載してありました(去年、私が受診した医療機関は眼科だけです)。支払額1320円。
私が神に祈りを捧げてから答えが返って来るまで僅かに1分。「背筋が寒くなる」というのはこういうことを言うんでしょうね(笑)。郵便局のバイクは私が祈りを捧げるよりも前の時間帯に配達作業を開始していたはずです。つまり神は「私が何をお願いするのか」まで先読みして入念に準備を整えていた可能性が高いのです。
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