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ヒプノ・セラピー ご感想 M様
suirenさん
先日は、長時間にわたり、セッションと施術をして下さりありがとうございました。
正直、ヒプノセラピーで、わたしがあれだけ感じ取れる事ができたことに驚いてます!
suirenさんのサポートがあってのことですが。
時代を越えて、わたしの魂はわたし、
体は借り物ということが実感されました。
わたしの魂は、男でも女でも、変わらない。
課題は次の命にバトンタッチ、ということがわかりました。
□ポンペイ時代のわたし
女性らしい成長もしていないうちから、娼婦宿にさらわれたらしいアリッサ(アリッチェ)=イタリア語ではアリスの女性名?! は、無知のまま、虐げられていました。おかみさん(現世の母)は、躾と称してお尻をほうきでたたいていました。痛いからやめてよ、と思いました。言葉がわからないため、言い返しもできない。海の向こうの外の世界をもっと知りたかった。最後は、赤い稲妻が見えて、何かに巻き込まれ息が苦しくなり終わってしまいました。どうしても逃げ出すことができない状態でした。
現世の私に対して、知識や情報を得ることは大事ということと、状況打破は可能なのよ、とメッセージをくれたように思います。
□ヨーロッパ?!でドレスを着たわたし
お相手と恋人同志の草原での光景は、お日様の光で植物が輝きとても綺麗でした。戦争に行って手紙の返事が来ない人を想い、感情をなくしてしまった女性。死んだと思い悲嘆に暮れている。
でも!
おそらく、その男性は女性の元に帰らなかっただけ。他の女性とよろしくやっている。(だって、魂は変わらないから)
現世の私も、待っても私が望むものは手に入らないとメッセージをくれたように思います。
□即身仏の修行失敗のお坊さんのわたし
悟りを得ようと即身仏の修行し、途中で助けを求めて救い出されてしまった。。。
「このような修行しても悟りは得られない。仏は人々の中にいる」
と悟ったお坊さん。本堂のロウソクに照らされて横たわり、もっと普通の庶民の生活をしていればと悔やみながら事切れる姿。
福岡の英彦山で山伏が即身仏修行をした体験が目に入りました。
それは、救い出される前提の修行なのですが、やはり、死との恐怖を味わい、終えた時には
「いくら修行しても悟りはない。しがない山伏でしかない。」
とコメントしておられました。
現世の私は、生きているわけで、あの世とこの世の間のシャボン玉に入っていれば安心だけど、喜怒哀楽、色々なことを経験しに地球に、居るんだ!と思いました。
昔の人が悟ろうとすれば、特殊な修行をしなければなりませんでした。
今は(あと10年くらいしか時間はありませんが)特別な時間帯の中にいて
普通の生活をしながら悟りを開くことができます。
この時間帯を逃すと、とても厳しい修行をしなければ悟りにたどり着くことができなくなります。
□人柱のきぬ(きぬこ)さんのわたし
人柱の伝説をググッたら、福山県の服部大池のお糸伝説に行き着きました。ため池を造成する際、病弱な母親に代わり娘が人夫として出て、着物の継ぎの当て方で、未婚だということがわかり、人柱の矢が立ち水の中に沈んだらしいです。娘には恋人がいて、毎夜毎夜池のほとりで名を呼び、遂に後追いの身投げをしたとか。
それで供養塔が建てられたそうです。この話は福山県の道徳の教科書に載る有名な伝説らしいです。
真偽の程はわかりませんが。。。
名前も似てるし、状況も似てて、鳥肌モノです。
神楽を踊る時の高揚感、衣装の重さや絹の肌感覚、リアルだったですね。
みんなの為と水に入りましたが、心の中では大好きな恋人を想い、添い遂げたかったと思っていました。
suirenさんの方には大変なことが起きてましたよね。画像が乱れて。。。
リングという映画の髪の長い女性のような画像になっていました。
相当無念だったのでしょうね。
現世の私は、自己犠牲も程々にね、自分の本心に従うのよ、とメッセージをもらいました。
今まで何となく、人柱になったのではないかという思い、唯一海外に行ったのがイギリス、托鉢の経験があったのではないかという感覚、そして、レンガ作りの所に裸で縛られているイメージが幼い時から繰り返されていたこと、の答え合わせができたようです。
そういえば、ここまでのわたしは、子どもを持っていませんね。現世は子育てもひとつのテーマだったということか。娘が生まれた時に、
「娘を産むために私は産まれて来たんだ」
と思ったのはそれでですね。
過去生をみると、独身のままなくなってるケースは結構あるので
今の時代のように、当たり前に結婚して子供がいるというのは
昔の常識に当てはめるとある意味、恵まれているのかもしれません。
(貧しかったり、宗教上など様々な理由で家族を持てない)
ヒプノ・セラピーを受けることで臨死体験に近い体験をさせてもらえたわけで、今生きている私の体を、私自身を本当に大事にしようと、思いました。
そして、私は私で良かったと思えました。
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Mさまありがとうございました。
生きるということは生命そのもの。
命は生きる時間です。
大切な時間を”誰とどのように過ごすか”
しっかり考えて、悔いのないように
与えられた命を味わってください。
*suiren*