【京大吹零会 起業家インタビュー】株式会社アンドプラネット 勝木 健太さん 工学部電気電気工学科 2011年卒
学生時代のこと。
高校1年生の時、人生における選択肢を増やしたいという漠然とした思いから京大を目指しました。理系に入ったのもそうですね。比較的消極的なスタンスだったと思います。
入学後は、テニスサークルに入って勉強も就活もしなくて非常に後悔しました(笑)。人生における選択肢を増やそうと思って京大に入学したのに惰性に流れてしまいました。友人はたくさんできましたが、就活においてはテニスサークルのエピソードは全然使えませんでしたね(笑)
いざ就活するぞというタイミングで、父親が上場企業で執行役員をしていたのでアドバイスを求めたら「三菱という名前がつく会社が良いんじゃないか」と言われまして。適当に見えますが、案外正しかったと思います。新卒で有名な会社に入社すると、ある種、まともに思われるケースはあるのかもしれません。
当時の自分には、サラリーマン適性がそれほどなかったように思います。満員電車とかスーツとかオフィス通勤とか、得意ではありませんでした。今みたいにリモートワークだったら違ったのかもしれませんけど。大阪で営業を2年間、東京の本部で2年間、合計4年間勤めました。そこからコンサルに転職したり、自分にとっての最適な仕事の形って何だろうと考えながら色々と模索していました。
起業のこと。
自分を助けてくれたのは、文章力だと思います。会社員の時から当時の最新テクノロジーを解説するようなブログを少しずつ書いていました。それがきっかけで出版社の方から連絡をいただいたりして、メディア運営へと仕事が広がっていきました。
メディア一本で食べていけるかは不安だったので、1年ほどフリーランスのコンサルで貯蓄をして、セーフティネットを確保した上で事業を伸ばしていきました。
当時、転職系の比較サイトで月2,000万稼いでいるメディアがありました。素直にこれを参考にすればいいのではないかと思いました。最初からオリジナリティのある事業をつくることは難しいと思ったので。
1年間は収益がほとんどなかったです。伸び悩んでいたので、どうしたらいいかをひたすらに研究していました。すると、結果を出して突き抜けている経営者の中には掃除を重視する方が多いことを認識しまして、それでトイレ掃除をやってみることにしました。自宅じゃなくて外出先のトイレも含めてです。カフェにコーヒーを飲みに行ったら、必ずその店のトイレを勝手に掃除するようにしていました(笑)
そうしたらいつの間にか人が気づかないレベルの汚れに気づくようになりました。トイレのみならず事業の汚れ(改善点)も見えるようになってきたんです。事業も段々と伸びていきました。そういう冗談のような本気の話です。
正社員はずっとゼロで、誰も雇わないで経営をしてきました。事業上の変数を減らしたいという思いがありました。最初の起業だったので、できるだけシンプルな事業をシンプルな組織で運営したかった。1人でやると大変ですけど、その分、組織のトラブルはありません。そして、全部自分でやれば、最上流から最下流まですべての業務が解像度高く理解できます。全ての執筆やデザインを手掛けるので、圧倒的な現場力が身につきます。
まず社長自身が全ての現場業務を細かく把握して、その上で、何が成長ドライバーになるのかを把握することが大事だと思います。仮に会社がうまくいかなくても自分個人にスキルを残したかったという思いもあります。だから全ての業務をまずは自分でやりました。
結果としてマネタイズに成功し、最終的に会社を売却することになりました。特に暮らしが大きく変わることはないですが、人生において若干の余裕が生まれたのか、誰かに怒るということはあまりなくなりましたね。
メディアの伸ばし方ですが、企業への取材を通じて、被リンクをいただくことがあり、それが積み重なるとドメインパワーが強くなります。すると、狙ったキーワードで検索結果の上位に来るようになり、大きな収益が上がるようになりました。1年間無料で誰かのためになることをやり続けたことが効いたのかもしれません。
20代でやるべきこと。
いきなり負荷を上げすぎて体を壊すよりかは徐々に自分が起業家に向いているかどうかを確かめながら負荷を上げていった方が個人レベルではいいですね。マクロレベルで日本の競争力を考えたときはわかりませんけど。京大生だったら自分で自分の給料を稼ぐぐらいだったら頑張れば実現できると思うんですよ。スモールにやりながら起業家としての力を鍛えていくことは決して悪いことじゃないし、一つのパターンとしてありかなと思います。1社目でいきなり勝負じゃなくて、2社目・3社目で勝負するのも良いんじゃないでしょうか。
高学歴とかハイスペックな人って、年収を一度高くしたら、なかなか下げられないじゃないですか。だから結局キャリア的には金融行ってコンサル行ってMBA行ってPEファンド行ってみたいな、給料を求めたらそうなってしまいがちです。
どこかのタイミングでそういった優等生的な価値観から離れて人と違うリスクを取らないと、30・40代以降のどこかで、「結局何したかったんだっけ?」となりがちというか。20代のうちは経歴が綺麗だと褒められますけど、30代後半からはより実績が求められるようになります。ハイスペックな人ほど悩みも大きく、キャリア迷子になっている人が多い気もしています。京大生には自分の好きと得意を突き詰めて自らの天才性を発揮してほしいと思います。
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