竹子と私とこの数ヶ月。

子宮内膜ポリープからの出血が悪化したこの数ヶ月、いつもの担当医たちに加えて戦ってくれた担当医がいた。
それが勝手につけたあだ名、心の中で「竹子」と呼んでいるその人である。


出血がひどく、前回の多嚢胞性卵巣症候群からの診察から大分経ってから予約外で診てもらったのが竹子との出会い。
男性の壮年期とは思えない程の物腰の柔らかさ、ふくよかなお腹に大きな背中、垂れ目の具合はまさに「竹子」、ロンドンハーツで女装したアフリカ系にウケの良い竹子ことカンニング竹山のようなのである。


大学病院で毎日のようにオペに入り、新米さんたちの指導にもたっているとは思えない程のやんわりとした空気、しかしながらしっかりとした判断や知識の多さなどは圧巻だし、他科の担当医(特に精神科の担当医)からは「この先生なら貴女を任せても大丈夫」と太鼓判を押された存在。
「うちのナンバー2を振り回している」と精神科では有名な患者なのに。


竹子には6月くらいからお世話になっていたのだが、経過観察中の10月の出血がひどく、止まらない上に周期通りやってきては毎日ショーツ型のナプキンを2〜3個使用するという異常な出血が私を襲った。
基礎疾患があり、妊娠出産が難しい私に友人知人が「子宮を使ってないからだ」「歳だから」ととんでもない非難の言葉が浴びせかけられ、私は心身共に疲弊していた。
もちろんストレスはとんでもなく、眠れない、鬱になるなどがひどくなっていた。


診察室で泣きながらあったことを話す私に「貴女はホルモン系の病気があるだけでも辛いのに、そうやって知識もなく人を傷つける言葉を吐くのもどうかなぁ」と竹子は真剣に話を聞いてくれていた。


そして、すぐにオペをすることを決めてくれた。


しかし、他科の疾患を抱える私には準備することがたくさんあった。
各科の診察を受け、オペに対する意見を聞きに行く、検査をしこたま受けるなど貧血や低血圧が起こっている体で頻繁に病院に通わなければならない。
外部から来ている先生もいて診察の日が限られていたり、予約日があるので1ヶ月をかけて全部を周り検査を受けなければならない。

そして入院期間がこのご時世故に短く、入院→翌日にはオペ→退院して自宅療養のスケジュールも出血がしていない時に組み込まねばならず、オペが確定したのは実施する1週間前のことだった。


それでも竹子は焦る様子も見せず、「この手術は簡単と言われているけど事故症例は毎年上がっている。でも僕は15分で終わらせてみせるから。」と笑顔で言ってくれた。
看護学校に行っていて就職内定も産婦人科で有名だったところからもらっていた私にオペの予定表を見せながら、「僕はこれとこれに入るけど、これは指導だからここの日にしようか」とちゃんと説明も入れて。

入院したその日は竹子には会えず、竹子にあったのはオペ室に入った時だった。
その時の竹子は「あ、メガネ!」とマイペースさは変わらず。


私はと言えば送り出してくれた看護師さんと「麻酔科医ハナ」という漫画について話ていて、前日に来てくれたフランクすぎる麻酔科医とも「全投薬いつ入れるの???」と緊張すらしていなかった。


だって30まで生きられるかわからないと言われた私がその病院に通ってこの歳まで生きて、こんなご時世なのにオペを即決して入院させてくれたから任せるしかない!と腹は決まっていた。


オペは無事終わり、オペがどうとかよりも尿カテの違和感と痛みがどうにも嫌で「早く抜いて」と懇願していた以外は何もなかった。


そして術後1ヶ月の診察。
超音波も血液検査も異常が見られず、無事一旦終診となった。


診察中に電話があり「この後僕オペ入ってましてね」と答えていた竹子は最後まで「貴女が元気でいていくれればそれでいいから」と笑顔で言い、「基礎疾患もあるんだからコロナにかからないように気をつけるんだよ」と送り出そうとしてくれた。
「先生もこの後オペってさっき言ってたんだからかかったらダメだよ?」と言う私に「あ、聞いてたぁ?」と笑顔を振りまきながら。


竹子先生、貴方の背中は大きくて頼もしかったです。
貴方のような医師が育ってくれることを願っています。


そう願いを込めて「ありがとうございました。またお世話になる日が遠くにあったらいいね」、そう言いながら私は診察室を後にした。

今回の入院、オペに関してお世話になった竹子、各科担当医、病棟看護師、臨床実習に来ていた学生さん、検査技師、入院させてくれたかかりつけ病院、全てに感謝の気持ちを込めて。

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