私は子どもを産めないし産まない
その選択をこれを読んでいる方はどうおもわれるだろうか。
女だから子どもを産んでこそ幸せは友人にも言われた。
だけど、その幸せと思う基準は人それぞれであり、私としては単に押し付けられているとしか思えないのも事実である。
私は妊娠をしたことがある。
その時に医師に言われた。
「あなたの今の病気の状態と体では選択は2つしかありません。
1つは堕胎手術をしてあなたが生きること。
もう1つは2人とも死ぬかどちらかです。」
残酷な言い方と言えば残酷な言い方かもしれない。
でもここで生優しく言ったところで「私はこの子の命を見殺しにはできません!」となった患者さんを医師も少なからず見ているはずなのだ。
しかし、この言葉をちゃんと聞けばわかると思う。
どっちにしても赤ちゃんの命は無いのだ。
バセドウ病に罹ると胎児が子宮内に安定しづらく、友人の友人も三度の流産を経験していると聞いた。
私の妊娠が発覚したのはバセドウ病が発覚してからほんの少しのことで、確定診断が出る前に命は宿っていたものと思われる。
その頃の私はあっという間に症状が悪化してしまい、数日前にはできていた歩くということすらままならない状況で友人により救急に運ばれた。
処方されたメルカゾールも合わず、発熱したりして放射線治療に切り替えようと放射線科に通ったりもしていた。
その時だったのだ。
私は元来子どもが好きだし、アセクシャルでも産んだら大切に育てようと思っていた。
恋愛感情はなくとも人としての愛情はあるからだ。
でも、突きつけられたのは死の選択。
命を殺してしまう事も辛いとは思った。
しかし、結論として子どもの命は助からない。
ならば私は生きて、その子の命を背負って生きて、いつまで続くかはわからないけれど命を全うすることの選択をした。
バセドウ病の治療、アレルギーの検査…病院には毎日のように通ったし、たくさんの経過を経なければいけなかったのでそれなりにお腹は出た。
手術は堕胎の出来る最終週ギリギリに行い、全身管理をされた上でだった。
手術のことはもちろん覚えていない。
終わった後にお腹に妙な空虚感があったくらいだ。
ごめんね、その言葉で頭はいっぱいだった。
その後基礎疾患は増え、どうにもこうにも出産に耐えられない体になってしまった。
甲状腺の症状は落ち着いているものの薬を飲んでいるからであり、その他の治療も合わせたらかかるのは私への負担ではなく胎児への負担なんだなということもわかるようになった。
だから今後も産まないという選択をしたし、その分友達や親戚の子どもを可愛がろうと思うようにもなった。
私のように基礎疾患がある人、産むこと育てることに抵抗がある人はたくさんいると思う。
だからこそ自分はこうだから産まない決断をしたとはっきりわたしは口にするし、それに対して産んだら気持ちがかわるとか、管理してれば大丈夫とか簡単に言わないで欲しいと思っている。
もし、自分の子どもに何かあった時、そして自分に何かがあった時に責任が取れない故の決断でもあるのだ。
子どもを産むことができる健康な体が当たり前だったら、そうやって悩む人間の気持ちを踏み躙っていいとは私は思わない。
テレビで「母の命と引き換えに…」と美談で描かれる話も、亡くなったお母さんはその子を育てたかったって気持ちがあったのになとか、私としてはいろんな側面から見るようになった。
毎日が幸せで暮らせていると私は思っているし、生きているだけでそもそもがありがたい。
命の火なんていつ消えるか誰にもわからない。
だからお子様がいる方は毎日のその尊い幸せな時間を大切にしてほしいし、でもその幸せは自分の尺度だから誰かに押し付けるのはやめてほしい。
性風俗産業に従事しているのにと言われるかもしれないが、私は卵巣の病気もありそれの治療も行いながらの仕事でもある。
コンドームもピルも100%避妊できないこともわかっている。
認識した上で働いているので大丈夫なんて気持ちもないけれど、私は私の命の火が消えるまで私らしく生きると決めてこの業界にいる、その選択をしたのも自分だ。
いろんなマイノリティを抱えているからこその自分らしさを追求することを私はやめたくはない。