『葬送のフリーレン』が大人を褒めてくれる
私は少年誌の連載漫画を素直な気持ちで読めなくなって久しいのですが、マンガ大賞で 1 位になった『葬送のフリーレン』はいつも楽しみにしながら読んでいます。
何故かって、『葬送のフリーレン』は少年向けに描かれながらも、核心の部分は「すっかり大人になってしまった人たちを敢えてターゲットにしている」ような気がしているからです。
だから、この漫画が子供たちにとって素直に面白いのか、ちょっと疑わしく思っていたりします。
魔王を倒した勇者一行の後日譚ファンタジー
魔王を倒した勇者一行の“その後”。
魔法使いフリーレンはエルフであり、他の3人と違う部分があります。
彼女が”後”の世界で生きること、感じることとは--
残った者たちが紡ぐ、葬送と祈りとは--
物語は“冒険の終わり”から始まる。
英雄たちの“生き様”を物語る、後日譚(アフター)ファンタジー!
「またいつか」が急に怖くなった
大人になって、「大事な思い出」が増えないこと、忘れていってしまうこと、色褪せてしまうこと。その寂しさ。と、寂しさへの慣れ。
『葬送のフリーレン』を読んでいると、凄く誰かに会いたくなります。今更、疎遠にしてしまった人と、凄く会いたくなる。そして改めて、その人たちを、もう一度、一から知りたくなります。新しい発見がしたい。思い出話もいいけれど、新しい大事な思い出がほしい。
エルフみたいな極端な長寿じゃなくても、大切な人たちと同じ速度で、同じくらいに、一緒に死ぬとは限りません。自分だけが、一人、取り残されて長生きしてしまうことは、可能性として大いにあります。
突然、今、仲の良い人が不幸に遭うことだって、決してゼロじゃない。「またいつか」っていう曖昧な約束をしていないだろうか。その「いつか」が叶わないかもしれない。それが急に怖くなります。
猫みたいにひっそりと死ぬのもいいかもな。そう思ってじゃんじゃん断捨離してみたり。でも、『葬送のフリーレン』を読んだら、それが急に嫌になってしまいました。
この気持ちは、今、思い出を作っている真っ只中の少年たちには、まだまだ分からないと思います。マンガ大賞で 1 位だったけれど、「物語に起伏が少ない」「ファンタジーなのに派手な戦闘もない」「だから面白くない」という若年層の評判も多いそうです。今が眩しい人たちにとっては、多分そうなんだと思います。
以前、『ワンピース』を読んでいる小学生に、サンジの「クソお世話になりました」のシーン、どうだったか、と尋ねたことがあります。大人の私は読んでいて泣きました。でも、その小学生は「分からない」と答えました。まだ、世話になる、という実感を、思い出を持っていなかったから。
大人を褒める当たり前になりたい
私がこの『葬送のフリーレン』で一番印象深いのは、「大人を褒める」というテーマです。何気ない会話のように、世間話の中に随所に出てきます。
大人は褒められない。大人には褒めてくれる人がいない。子供だから褒められる。それが当たり前になっています。でも、大人も褒められたいんです、絶対。
そんな私は、大人を褒めているか。褒めていません。褒められないから、褒めない。そもそも、大人の褒め方を知らないのかもしません。自分は褒められたいのに、自分は褒めない。無性に誰かを褒めたくなりました。
もちろん、自分を褒めてほしいからだけれど、何で私は誰も褒めないのか。分からなくなりました。
そんなとき、note でこのお話が凄く胸に刺さりました。
私は褒めてくれる人に殆ど会ったことがありません。だから、私も褒めてくれる人のことを「素晴らしい」と思ってしまいます。そして私も素直に褒められる人になりたいです。
きっと、そういう世界は素晴らしい。褒めてくれる人を、素晴らしいと思うのだから。天国で女神様に褒められるのを期待するだけでは、もう嫌です。