|astrology|みずがめ座のおはなし
やぎ座の時間を抜け、みずがめ座の時間をゆきます。
ホロスコープは、その天頂をやぎ座の入り口(=冬至)で極め、5=しし座で自我が形成され、10=やぎ座で社会性が達成され、ある種の《ゴール》に達したようなところもある。
アタマで考えると10まででよいように思えてしまうけれど
ホロスコープは結局は「生命」としてのわたしたちを見ている。10よりも、3×4や4×3が描く、12の《円》を見ている。
だから、10の先も続いてゆくのでしょう。
やぎ座の入り口の、その先。
やぎ座を通って、みずがめ座、そして、うお座へ。
やぎ座が地のサインでありながら、水の領域にも通じているという前回のお話しと同様に
みずがめ座もまた、風のサインでありながら、水の領域に通じているところがある。まさにその名の通り。
あくまでもそれぞれのエレメントのサインでありながら、10の向こうには、うお座の水が流れ込んできているのですよね。
うお座は、個が全体性へ還る場所。
個の輪郭は一度消えて、全体に溶け去って、やがてまた輪郭が引かれ、個として生まれでる(=春分点・おひつじ座)。
個としては十分に到達したと思えた(=10)その先があるのは、引いてきた輪郭を消してゆく働きが、そこにあるからなのかもしれません。
そして、この過程は、人生という時間のサイクルに限らず、日々のとてもとてもとてもちいさな時間の、あちらこちらに潜んでいるようにも感じます。
引いては、消して、消しては、引いて。
あらわれては、消えて、消えては、あらわれて。
波のように、呼吸のように。
うお座のひとつ手前、みずがめ座の世界では、個性と全体性との間(あわい)が、興味深くあらわれます。
個としての輪郭はあって、あるけれど、圧倒的な全体性の予感 — それは予感というより、もうその姿を見せているのでしょう — を前に、その輪郭は、これまでとは違う質を持ち、違う光り方をはじめる。
しし座の対岸にあって、あるからこそ、しし座で引かれた「自我」の輪郭は消え、あらたな《外枠》があらわれる。
こうしたことから、みずがめ座は、自由、博愛、平等、独創性といった言葉とともに語られるのでしょうね。
あくまで個としてありながら、全体性へ明け渡すことを知っている、虹色の薄い膜をまとった、わたしたち。
個性と全体性の、その間(あわい)に立つとき、何を感じますか?
この季節も、よき旅を。
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