SNSを眺めてると、魂持ってかれそうになる

ツイッターやインスタグラムで写真や文章を上から下へ眺めていると、時々自分の意識がふわぁっと画面の向こうに持っていかれることがある。

自分はこの状態を他人に説明するときによく

「魂持ってかれそうになる」と表現していた。

こう説明すると大体全員から首を傾げられる。魂は持ってかれないでしょ、と正しく突っ込まれる。そうだなとも思う。

他人の日常に触れることは、その人の人生を覗き見ている気分になる。美味しかった食べ物、誰かと一緒に行ったお店、友人と訪れた旅行先の景色、恋人との幸せに過ごす休日。そんな情報が集約されているSNSを、暇つぶしに通勤途中や休憩中のちょっとした隙間時間に眺める生活。

そして簡単に憧れたりする。他人が食べていたものを食べたいと思ったり、友人が訪れた場所に行ってみたいと思うことがある。尊敬している女性がインスタグラムにアップしている写真を見て、その人が身につけている服やアクセサリーなんかを欲しくなってしまって、購入してしまうことが今までもよくあった。同じ体験をすれば、自分もその人物のようなステキな人間になれるかもしれないと、どこかで思っているのかもしれない。誰かの人生をなぞろうとしていたのかもしれない。

これは結構怖いことなんじゃないか。

ネットで情報が今ほど簡単に手に入れられなかった時代は、例えば雑誌なんかでステキなものや人物、カルチャーの情報を得ていた。それは紹介しようとしている雑誌というメディアが情報を選択し、整え、限られたステキなものをわれわれに提示してくれていたものだった。

誰もが情報を発信できる今の生活。溢れる情報を惰性で視界に入れ続け、さまざまなひとの意見や思想を見ていること。自分はこういう人間で、こういう考えを持っている、というアイデンティティを持っていないと本当に簡単に画面の向こうのどこかに吸い取られるんだな〜と思っている。

ので、時々SNSを辞めたりスマホを放棄したりしています。

いつも、えっどこから見てんの〜〜???という視点から情報に触れていたいと思う。自分の感じたことを信じていられる人間でいられるよう、頭にあんのか、心臓にあんのか、膝にあんのか、まったくどこにあんのかわからない魂を日々逞しくしたいものです。


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