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マイノリティな存在の僕の人生観


多くの人が一度は、「生きるって何だろう」「人は何のために生きているのだろう」という問いを持ったことがあるんじゃないかな。その中で自分なりの答えを見つけたかもしれないし、答えは分からずそのままの人もいると思う。
かくいう僕も何度も考えてその度に答えを出しているけど年を重ねるごとに変わっていく。

ある人は「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言うし、「人は幸せになるために生きている」と言う人もいる。僕はかつて「人は死ぬために生きている」という答えを持っていた。人は生まれたときから"死"に向かって歩き続けているにすぎないと考えていた。この考えは未だに持っている。
しかし、今もう一度「僕は何のために生きているか」という問いについて考えたとき、僕の中で一つの答えが導き出された。

"僕は瞬間の幸せのために生きている"


幸せを感じる瞬間とは

Q.貴方が幸せを感じる瞬間はどんなとき?

これに対しての答えは人それぞれ。
たくさん寝たときに感じる人もいれば、好きなものをたらふく食べたとき、推しのライブに行ったとき、恋人と過ごすとき、仕事で成功したとき………。

幸せを感じる瞬間なんて人の数だけある。
僕が推しのグッズが当たって幸せを感じても、他の人が全員そうだとは限らない。

僕達は幸せを感じる瞬間の連続の中で生きている。もちろん幸せ以外にも、しんどい疲れた悲しい…などの様々な感情が入り組んでいるんだが、幸せは生きるこのにおいて一番大事だと僕は思う。


瞬間の幸せ

ここで少し僕の話をする。非オタの親をもつオタクなら分かってもらえる話かもしれない。

僕はアニメと漫画が大好き。漫画がなければとっくに僕は死んでたんじゃないかと思うくらいに。だから、よく漫画もグッズも買う。それを見た母はこう僕に言う。

「それ買う必要ある?好きじゃなくなったらどうするの?勿体なくない?」と。

僕が一度好きになった漫画を好きじゃなくなる訳ないじゃん!というオタクの気持ちは置いといて、確かに冷めるというか他のものに目移りして興味から外れてしまう場合はもちろんある。そうなったら過去に買ったグッズは要らないと思うかもしれない。それは事実。全くもってその通りである。ただ、ここで一つ僕が言いたいのは

"勿体無い"という考え方は違うのではないか?

ということ。
何故なら、僕はそれを手にした瞬間にすでに幸せを得ているから。

僕は何故グッズを手に入れたいと思ったのだろう。推しを手に入れたいと思ったから。推しのビジュを間近で見たかったから。

僕が特別興味のない洗剤やシャンプーなどを買っても何の感情もわかない。それと違って推しのグッズを買ったらその瞬間、この上ない幸せを感じる。それだけで十分お金を払った価値はあるんじゃないか。その後要らなくなっても勿体無いとは言えないんじゃないか。
これが僕の考え方である。
確かに手にした後もグッズを見る度に幸せを感じられるのならそれは幸せの持続で最も良いことかもしれない。
それでも母が僕に勿体無いと言ったのには別の理由があると推測する。
"母はグッズを買っても幸せを得ないからだ"
母の立場では幸せを感じないから勿体無いと考えてしまう。それはごく自然なこと。


結局、僕達人間は幸せの瞬間のために一生懸命何十年も生きているんじゃないかな。

Q.勉強するのは何故?
→良い大学に入るため

Q.良い大学に入るのは何故?
→良いところに就職するため

Q.良いところに就職するのは何故?
→給料が良いから

Q.給料が良いところに就職したいのは何故?
→好きなものにお金を費やせるから

Q.好きなものにお金を費やすのは何故?
瞬間の幸せを手にするため

この問いと答えは一例にすぎないが、このような問いを続けた最後は全部同じなんじゃないかな。みんなが一生懸命、生きようと藻掻き抗うのはこの為なんじゃないかな。どんなに今が辛くても、きっと頑張った先には幸せがあると思っているから逃げ出さずに頑張ろうと思えるのではないか。

そして、瞬間の幸せを手に入れようと頑張り続けられるのならその人生は生きる価値があると思う。


マイノリティな存在として生きる

端的に言えば僕はマイノリティな存在だ。
AロマAセクでノンバイナリー。そんな僕は将来結婚したいとは思わない。正直な話、パートナーは欲しいと思ってる。けど、漠然と無理かなぁと思っている自分がいる。僕自身はこの事実について悲観的になっている訳でもなく、自分が幸せに生きていれればいいなぁ〜と思っているけど、周りの目は少し違うみたい。昔よりもLGBTQ+、性的マイノリティーな存在を誰もが聞いたことがある、という風になっている。だが、結局聞いたことがあるだけであまり理解していないのが事実。だから「結婚が最高の幸せだよ」「恋愛は社会に出る上で大事だよ」などの言葉をかけられる。幸せというものの基準は人それぞれだから何とも思わないが、貴方の幸せが必ずしも他人に当てはまるとは考えないでほしい。

人の幸せの基準が違うからこそ、みんな違う人生を歩むことができる

そう僕は思うのでね、「みんな違ってみんな良い」なんです。結局。

僕は僕の気持ちを理解して欲しいのではない。こういう感じ方、考え方をする人もいるんだな。という知識を頭に入れて忘れないで欲しいのです。批判的にならないでください。
このことに関しては下の記事で詳しく述べたので割愛します。

他人の幸せに囚われて、己の幸せを見失わないように日々を生きていきましょう。

ここまで読んでくださりありがとうございます

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