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友也が渉と子渉を和解させた話

 サンクチュアリお疲れ様でした。
 今まで語られなかった、渉→友也の話を浴びることができた最高なイベントでした。
 イベントから1ヶ月ほど過ぎましたが、ようやくストから日々樹渉についてひとつの解釈を導き出したので書き連ねたいと思います。

※当方、友也と渉のカップリングの人間なのでかなり贔屓目入ってるところがあるかもしれません。ご了承ください。他カプを否定する意図は全くございません。※

 今回この解釈にたどり着いたきっかけは、フォロワーさんの呟きの中にあった「理想」という単語を見たことでした。
サンクチュアリの話をする前に、まず、私は

英智→理想の「日々樹渉」像がある
友也→理想の「女神様」像を入学時点でぶち壊されている

と、認識しています。

(これは、友也が「日々樹渉になりたい」と演劇部の門戸を叩いたからこそ、「演者と観客席」の関係ではなく「演者と演者」の関係になるため、渉は友也の理想像である「女神様」を演じようとしなかったのではないかなと思っています。

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 女神様像を壊された友也ですが、春~秋までの間に、友也にとっての「日々樹渉」像が形成されていました。

・変態仮面
・人間離れしている
・辛辣な言葉を浴びせてもいい奴

という像であり、友也にとって「日々樹渉」は↑のような人間でした。

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……

…………

………………


だったのに!
天変地異!


 怪盗vs探偵団で渉に語られた『日々樹渉』の昔話。
 それを聞いた友也は自分の抱いていた「日々樹渉」像に対して、「あれ?俺が見てた日々樹渉って『日々樹渉』じゃないんじゃない?」と疑念を抱くようになる。
だから悩むわけです。透明と仮面で。

 そして結論は、

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 渉の昔話を受け止め、自分なりの解釈を固めてそれを信じることを決めた友也。
俺が本当だと思えば本当になる

 ここから、渉に「日々樹渉」像を押し付けなくなるんですよ。(私にはそういう風に見えてる)
 もっと厳密に言えば、自分の理想すなわち役としての「日々樹渉」ではなく、役ではない素の渉自身を求めるようになる
 理想を押し付けないっていうのは、つまり、渉がどう接してきても「まあ、あんたはそういう奴だもんな」って受け止めるって意味です。友也は透明と仮面を契機に、そういう風に決意したんじゃないかなと思いました。

 ここから渉の話になります。

 友也は↑みたいに決意してから、渉に役を求めなくなる。
けど、渉はそれが面白くないわけです。

「あなたの日々樹渉です…♪」が常套句なだけあって、求められた役を演じることが好きな渉。
 好き、というか、求められた理想を演じていれば、それは絶対に求めた側の「正解」になるから間違いがない。道を踏み外す可能性がないんですよ。(これは5歳以降の渉がトラウマのようなものを経験してるんじゃないかなと思う。それこそ、「高尚すぎて理解できない」の可能性は十分にあるよね…)
 だからこそ、理想を呈示してくれる英智の隣にいる。理想を求められるのは嬉しいし楽しいし、間違いがないから。

 でも、友也は渉に役を求めなくなってしまったんですよ…。
 今までは友也にもトンチキな先輩っていう「日々樹渉」像があったからその役を演じていたのに、それが無くなってしまった。無くなってしまっただけならまだしも、役じゃない渉自身を求めてきた正解が無くなっただけじゃなく、なんかめちゃくちゃ難しい問いを出してきたんですよ。
 怪盗vs探偵団で、仮面を少しだけ外してしまったせいで…。

 じゃあなんで仮面外したの?って話なんですが、サンクチュアリで明かされた子どもの渉が関係してるんじゃないかなと思います。

 火刑台上のシンデレラで渉が言ったように、友也は誰にでも手を差し伸べる優しい子なんですよね。(そこに下心があれど、やらない善よりやる偽善とも言うので…)

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※友也と渉の2人が出てくるストを全部見た後に書いてるのでこれを抜粋しましたが、他のストでも友也の優しさがわかるシーンはたくさんあります。サンクチュアリでも、幼少期にしののんに手を差し伸べたって話が本人の口から語られました。

 そんな友也だからこそ、今の18歳の渉ではなく、渉の中にいる幼少期の渉が手を伸ばしたくなってしまったのではないかなと思います。
 今の渉は役を与えられ演じることを生きがいとしてますが、そんな渉が見て見ぬふりをしていたのが幼少期の自分自身。
 友也の優しさに触れ、自分自身のなかで泣いていた幼少期の自分が思わず手を伸ばそうとした結果、「昔話をしましょうか」に繋がったんじゃないかなと思っています。

 サンクチュアリで渉は「ごくたまに、目敏い友也くんが見つけてくれた私です」って言ってましたが、思わず仮面の下を見せてしまったのは渉であって、

友也が見つけようとして見つけたわけじゃないんですよ…。

渉から、零したんです。

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 しかしまあ、サンクチュアリまでの間、渉がそんな「幼少期の自分」を自認したような発言は無いんですよね。
 恐らく、友也がはじめて渉の仮面の下を見ることになった怪盗vs探偵団後~サンクチュアリまでのどこかでその存在を認めたんだろうなとは思いますが、仮面の下を見せてしまった後でも渉は「昔話」を嘘だと言い張り、透明と仮面での友也の解釈も「はい?何の事でしょう?」と知らないふりをします。(個人的にはエピリンの後、卒業してから気づいたんじゃないかなと思ってますが)
 「役ではない自分」があることを否定し、友也からの問いを受け付けませんでした

 これってつまり、18歳の渉にとって「幼少期の自分」(以下:子渉)は認識してなかった存在であり、逆に子渉にとって18歳の渉は自分を認識してくれなかった存在なんですよね。

 恐らく、今に至るまでの人生のどこかに子渉を押し込めて無かったことにした渉がいたんだと思います。けれど、押し込めただけじゃ消えないから、18歳の渉の中には今もちゃんと子渉が存在していました。
その子渉こそが、友也が渉に求めた、役ではない日々樹渉=素の渉なんじゃないかなと思います。

 そして、サンクチュアリで渉本人が言ったように、渉は今まで見て見ぬふりをしていた自分自身を自認し、甘やかすことを決めます。
 その手段が『自己催眠で5歳に戻り、サンクチュアリで友也くんと楽しく遊ぶ』というものでした。

 今まで押し込めていた幼少期の自分に、はじめて白羽の矢が立ったんです。
 それが、サンクチュアリ 穢れた天国 第五話冒頭の『悪夢あるいは死後の世界』なのではないかと思います。

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そして、
隣にあるおおきな輝き→fineあるいは英智
足元からの気配→演劇部あるいは友也
じゃないかなと感じました。

 で、これは5歳の渉なのかなと思ってるのですが、今の子渉(18歳の渉と一緒に今まで生きてきた渉)にバトンタッチするのではなく、ほんとの5歳当時の渉にバトンタッチしたんですよね。

 足元からの声に手を伸ばすことを「酷く後ろめたい」と感じたのは、今まで18歳の自分自身が見て見ぬふりをして「無い」と言ってきた幼少期の自分(役を持たない自分)が、誰かの求める声に手を伸ばしていいのか、子渉が不安がったからだと思います。子渉の18歳の自分に対しての後ろめたさが5歳渉に残ってたのかな、と。(子渉と5歳渉を同じものとして捉えていいのか分からないので濁してます)

 もし、渉が自己催眠で戻った5歳の少し後に役を演じるようになったのだと仮定したら、最長12,3年は役を持たない自分を押し込めていた可能性があるわけです。
 そりゃあ不安にもなるでしょ……「いいんですか…?」ってなるじゃん……最長13年も居ないものとして扱われてたんだとしたら…

 でも、今回18歳渉は自認した子渉を甘やかそうって決めたんですよね。何かのついでじゃなく、自分自身のために行動したんです。つまり、自分のなかにいた救われない子渉を、はじめて抱きしめてあげたってことだと思うわけです。
 そしてその手段として、友也と遊ばせることに決めました。
怪盗vs探偵団で彼に手を伸ばしたくなった自分のなかの子渉を、自分がふいに見せてしまった仮面の下を「愛おしい」「笑顔にしてやりたくなったんだ」って言ってくれた友也に預けたんですよ…………やば

 もしも、友也が気づくきっかけを与えなかったとしても、渉はそれはそれでこれからも何事もなく生きていったと思います。ずっと付けている「日々樹渉」の仮面が本当の自分自身になって、子渉の存在は消えてしまっていたかもしれない。でも、友也が役を持たない渉を求めたおかげで、子渉は救われました。渉が過去の自分と向き合うことができたんですよね。これを私は運命と呼びます……。


 長々と書き連ねました。すみません。
色々拾い損ねてるところもありますが、大体の解釈はこれで全てです。渉が自分の名前にピンとこなかったこととか、いただきますを知らないところとか、まだまだ掘るべきポイントはたくさんあるのですが、とりあえずはここまで。また追記するかもしれません。

真白友也、日々樹渉と出逢ってくれてありがとうな…


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