ヤクルトの蓋を綺麗に開けることができたみたいな
最後まで破ることなく綺麗に開けられると、少しだけ嬉しくなります。
こんな風に、日常で当たり前のようにある些細な良いことに、もう少し目を向けられたらなぁと、最近ふと思います。
はじめに
先週のことになりますが、「Sphery Rendezvous」 初日、参加してまいりました(日曜日からは愛知公演ですね。ライブ前のソワソワする感覚、私は好きです)。
初日の会場、ベルーナドームは、とても風通しが良かったり西日も天使の梯子のように差し込んだりしてかなり蒸し暑く感じ、ライブ前の私は最後まで耐えられるか不安でした。
しかしライブが始まると、そんな心配は必要ないくらいに終始心が動かされ続け、気づけば自分自身がものすごく熱くなっておりました。
個人的に、音響がとにかく素晴らしかったです。曲間の静寂で聞こえる虫の声や、ライブ後ドームから出る道すがら浴びた涼しい風も、熱くなりすぎた私をクールダウンしてくれるように感じ、とても心地よかった。
セトリや感想については、これからツアーに参加する方(に、このnoteを見ていただけるかは不明)が、「私が初見で受けた衝撃」を同じように素のままで体感してほしいという気持ちから、割愛させていただきます。
今回は、このツアーの直前にリリースされたアルバム「Iris」について、拙い文章ながら、今の私が率直に思うことを記してみます。
「Iris」が手元に届き抱いた感情
話はライブの数日前に遡りまして。
ついに「Iris」が私の手元に届きました。みなさんはこのアルバムを聴いてどんな感想を持ちましたか?
「たくさん新曲を聴きたい!」「アルバム限定曲をもっと!」という意見、よくわかります。私も一部の曲がリリースされた際に購入しました。
しかしながら、最初から最後まで聴いてみて、「Iris」という1つのアルバムとしてリリースされたことで、一曲一曲が「単なるタイアップ曲ではなく、聴く人に対して真正面から歌われた歌」だと、私は認識するようになりました。
「アルバムに何を求めるか」は、もちろん人によって違うかと思います。
私自身は「Iris」が手元に届いた際、「BUMP OF CHICKENの生み出した歌たちが、私の元に来てくれた」という事実をまず喜び、噛み締めました。
私の手元に彼らの楽曲が「在る」ということ。ライブを体感した後だからでしょうか、より一層それだけでもとても嬉しく思えるのです。
そんな「Iris」の収録曲から、特に印象的な歌詞のうち、一部をピックアップして、今の私なりに感想を書いてみました。
『青の朔日』
みなさんは何か曲を初めて聴いて、「衝撃を受けたフレーズはこれだ!」と即答できるでしょうか?
『青の朔日』を最初に聴いて、私は真っ先に次の歌詞に衝撃を受けました(何度も聞き返しているうちに、どこもかしこも良すぎることに気づく…)。
初めて聴いたとき、序盤のメロディや歌詞からはロマンチックな印象を受けつつも、サビで予想外の転調に驚きました。少し昔のBUMP OF CHICKEN特有のロックっぽさに、一気に周囲を取り囲まれるような感覚。そして曲が進むにつれ、曲中の「私」と「あなた」が、各々逆境を乗り越えようとする姿・必死に運命に抗う姿が目に浮かぶように。
今回取り上げたのは、そんな険しい情景を伴う歌の、2番と最後のサビの一節。私は、この2番のサビから、『青の朔日』の持つテーマが前面に押し出されたと感じました。
自我があるかのような「涙」を置き去りに「迷い」を引き連れて、「泣きながらでも、迷いがある状態でも、立ち止まらずに前に進め」と、自分自身を全力で鼓舞するような力強さ。
立ち止まらずに進み続けることを表す楽曲は、世に数多く出回っていますが、「泣きながらでも迷いながらでも進み続けること」を、このようなキャッチ―な歌詞にして心に強烈に響かせる点に、BUMP OF CHICKENのアイデンティティを感じずにはいられませんでした。
総じて、困難な状況に陥って辛く苦しいときに、自分を奮い立たせてくれるような一曲です。
『アカシア』
普段 BUMP OF CHICKEN の楽曲を聴かない方も、耳にしたことがあるのではと思われる一曲。『アカシア』は、ポケモンをメインコンセプトとして作詞作曲されていることからも、その歌詞からは「相棒ポケモンの視点でみたトレーナーの姿」が比較的容易に想像できます。
この曲の初リリースは数年前ですが、私が今でも聴くたびに衝撃を受け続けている歌詞は、次のとおりです。
私は、この一節に、BUMP OF CHICKENの楽曲における「真髄」があると考えます。
その真髄とは、「目に見えていて当たり前だと思う景色が、どれほど特別で代え難いのかを、音楽に乗せて私たちに伝えてくれること」です。
この一節では、「僕」と「君」の歩み方の違いから、各々の「凄いところ・特別なところ」を見出しています。「目に映る当たり前の描写」から「各々が特別な存在」であることを、短い歌詞でストレートに表現しているのです。
たとえ私が、普段から歩幅の差異を目の当たりにしても、当たり前だと思ってわざわざ言葉にしようとも思わず、その光景に含まれる「僕」と「君」(=「自分」と「相手」)それぞれの「特別なところ」にまで考えが及ばないだろうなと思います。
この曲では、「僕」からみた「君」が、特別でかけがえのない存在であることを、「僕」から「君」に徹頭徹尾言葉にして伝えています。『アカシア』は、「特別に思っている相手に対して、それを言葉にして伝えることの大切さを説く歌」であると、私自身は感じました。
おわりに
相手をどれだけ大切に思い、それを表現する素晴らしい言葉を持っていたとしても、ただ思っているだけでは伝わらない。
「思っていることはちゃんと言葉にして、伝えたい相手に伝える」という当たり前のことを、BUMP OF CHICKENの歌をアルバムとライブで存分に浴びて、改めて実感しました。
これからライブに参加される方や、これからアルバム「Iris」を聴く方(が、このnoteを見ていただけるかは不明ですが)は、彼らの歌を存分に浴びて思いっきり楽しんじゃってください。
すでにライブに参加された方や、アルバム「Iris」を聴いた方(が、このnoteを見ていただけるかは不明ですが)は、「こういう視点もあるのか、ふーん。」と、少しでも思っていただけたら幸いです。
タイトルに書いたようなことは極端ですが、私自身、日常の中に当たり前にある小さな幸せを見つける機会を、これから少しずつでも増やしていきたいです。
…欲張りかもしれませんが、そういう些細な喜びを伝えたり分かち合えたりできる人が、そばにいてくれたらなぁとも思います。
そんな感じ。