稲葉曇「きみに回帰線」考察 きみ=将来の自分?
僕の大好きな稲葉曇さんの曲に、「きみに回帰線」という曲があります。なんとなく歌詞に共感できる曲だなと思っていましたが、いじめを扱っているのではないかという意見を聞いて、もう少し深く知りたくなり、読んでみたところ、難しすぎて転げそうになりました。
特にタイトルにも含まれる「きみ」の意味がわかりませんでした。「きみのためと思えば思うほど嫌になる」「きみから奪ってしまえばいい」などのネガティブな歌詞と「きみのための景色を見たい」「安心をきみから借りる」などのポジティブな歌詞が混在しています。
ここでは「きみ=将来の自分」説を提唱してみます。
あたしのせいかな
筆箱の中身が減って身軽になってく
楽になるはずなのに
主人公は、筆箱の中身が盗まれるといういじめを受けています。
あたしの助けて欲しいがあたしのせいになるのは
きみのためと思えば思うほど嫌になる
いじめを受けた主人公は助けを求めますが、周りはお前が悪いんだと主人公を責めます。
ここで「きみ」が出てきます。「きみ=将来の自分」なので、将来の自分のために、いじめを受け入れようとするが、今の自分は苦しいままなので辛い状態、だと解釈できます。
天気のせいかな
準備万全だったのに雨に濡れているのは
気にしがちのあたしだから
いじめとして解釈すると、靴を濡らされたか、または傘を隠され濡れて帰るしかなくなった状態でしょうか。
朝の会はひとりでいい
名前を呼ばれるだけでこわい
耳を塞ぐエネルギー
きみから奪ってしまえばいい
注目されるのが怖いので、主人公は朝の会が怖いです。周りからいじられる声が聞こえるのを、将来の自分の成功を考えることで塞ごうとします。
今日はずるやすみをしよう
進む教科書 皆勤仕様
つぶれた鉛筆でお絵かきを
するだけでいい世界に居たいのよ
いじめに対して耐えれなくなった主人公はずる休みをし、やがて習慣化していくことになります。教科書は休んでいると追いつけなくなっていき、自分の好きなお絵描きだけをする世界を想像するようになります。
カーテンの隙間に野次を言う余裕があった頃は
とうになくなっているから安心をきみから借りる
昔の頃はカーテンの隙間から野次を飛ばすような余裕があったのですが、現在はできなくなってしまいます。今の自分の努力が、将来に身を結ぶことを信じて頑張ろうとしていることを、「安心をきみから借りる」と表現しています。
気のせいかな
久しぶりの授業が楽しいと感じたのは
明日から休めるから
これはそのままの意味だと思います
あたしの助けて欲しいは次第にいなくなる
それは嬉しいはずなのに
重いアンテナ 布団で隠していい?
家の中で布団にくるまっていると「重いアンテナ=助けてという叫び」は無くなってきますがもどかしい気持ちになってしまいます。
きみのせいかな
間に合いそうの先に夢が続いているのは
あたしのせいにもできるから
主人公は将来の自分のために休むようになったことで、学校に間に合いそうなのに見ていた夢のことを思い出すように、だらけているのは自分のせいであると思うことができるようになりました。
今日はずるやすみをしよう
いらない給食 じゃんけんしよう
使い慣れた部屋で自問自答
するだけでいい世界を知りたいのよ
こんな学校がいいという妄想だと思います。給食が出てくることから、小学校を理想としているような気がします。
重い足取り 軽いかばん
悪いことしたような そんな浮遊感
ぐちゃぐちゃの時間割
あたしの身代わりになって欲しい
すぐに早退するので軽いかばんで学校に行きます。早退してからはぐちゃぐちゃな時間割で過ごします。
今日はずるやすみをしよう
欠席の理由 大事な私用
ファーストクラスの教室で
きみのための景色を見たいのよ
ファーストクラスの教室とは自分の部屋です。きみのための景色とは、家での自分の努力を指します。
ずるやすみをして
消えるあたしの回帰現象
正解を知るための自習を
するだけでいい世界に居たいのよ
ここでも理想の学校像が見られます。
想像の通りにいかなかった分だけ
遠回りした正解で安心をきみに返している
ここでは時が経ち、主人公は大人になっています。遠回りした正解とは、学校に毎日通うことで得られるものとは違った、家でコツコツしてきた努力によって、夢が叶っていったことです。「きみ」は現在の自分になり、昔未来の自分を想像することで得ていた安心が、自分に帰ってきているように感じています。
この曲は稲葉曇さんが自分の体験を書いた曲なのかもしれないですね。
こんな感じで無理やりな部分もありつつ、考えたことをまとめてみました。この曲の歌詞を改めて見るきっかけになれたら幸いです。ありがとうございました。