としこのおばちゃんと心霊写真

物心ついた時から、とし子のおばちゃんが大好きだった。
とし子のおばちゃんは祖母のお姉さんで、いつも陽気なおばちゃんだった。
遊びに行くと決まってお菓子や道端の大鍋で茹でられているおでんのカマボコを買ってくれた。
とし子のおばちゃんは、小柄で白髪で、やせっぽっちで、歯は上下の糸切り歯の四本しかなくて、灰色の目玉は微かに青みがかっているという今 思い返しても独特な風貌をしていた。
それでも近所の子供には好かれていた。
その大好きだったとし子のおばちゃんのことを嫌いになった時のことは、よく覚えている。
とし子のおばちゃんが私だけじゃなく弟にもお菓子を買ったのだ。
私があれだけ今日だけでいいから弟にはお菓子を買わないでって言ったのに・・・。
私はむくれてブランコをこいでいた。
弟と私は2歳違いだった。
祖母は私と弟が喧嘩をするたびに
『男の人の頭を叩いちゃあかん』
と言った。
私が弟をまたごうとすると
『男の人をまたいじゃあかん』と言った。
私は、それを聞くと何故か腹が立ってたまらなかった。
今ならわかる。
それなら女の私は、叩かれてもいいのか?
それなら女の私は、跨がれてもいいのか?
自分が弟より大事にされていないことが悔しくてたまらなかったのだと思う。
だから大好きなおばちゃんの一番になりたかったのに、おばちゃんは弟にもお菓子を買った。
そればかりか乗り合うエレベーターで
『やっぱり男の子のほうが可愛い』と
ポツリと言った。
それで私は、としこのおばちゃんのことが嫌いになった。

年齢が上がるにつれてますますとし子のおばちゃんのことが嫌いになった。
高校になった私は、祖母の家に同居させてもらっていたのだが食事中のとし子のおばちゃんがたてるクチャクチャとした咀嚼音に我慢ならなかった。本人に直接、言ったこともある。そのくせ毎月のお小遣いだけはちゃっかり貰っていた。口では、いらないよといいながら、渋々、受け取る風を装って・・・。


高校を卒業してフリーターになっても私は、祖母の家に住ませてもらっていた。
おばちゃんは祖母によくお金を借りていた。1000円や2000円の微々たるものだったが、私はとし子のおばちゃんが祖母にお金を借りるたびに嫌悪感を抱いていた。自分は祖母の家にいるばっかりで、祖母に一銭だってお金を渡していないにも関わらずだ。
私はお金もなかったし将来のことを思うと憂鬱になった。
としこのおばちゃんが2000円貸してと言ったときは『私だってお金ないんや!』と感情的になってしまった。
さすがに、後味が悪くて、とし子のおばちゃんの誕生日には、としこのおばちゃんが愛飲しているハイライトに2000円を添えて渡した。

結婚しても私は、週に3日は祖母の家に通った。としこのおばちゃんには相変わらず冷淡な態度をとっていた。としこのおばちゃんが転んで救急車を呼んでいる最中も、妊娠していることを口実にとしこのおばちゃんの家に駆けつけなかった。としこのおばちゃんの家は祖母の家の3件隣だったのに。私のあまりの淡白さに夫はひいていた。

としこのおばちゃんが入院しても私は妊娠中ということを免罪符にしてお見舞いに行かなかった。
人づてでとしこのおばちゃんが元気だと知っていたから。

けれど急に雲行きが変わった。
としこのおばちゃんが危篤状態だという。
つい数日前まで元気だと聞いていたのに。
私は動揺した。
電話のむこうで、母親はお前は妊娠してるんだから、こないほうがいいという。
私はお願いだから行かせて欲しいと電話口で泣いて頼んだ。
病室にいくと、としこのおばちゃんはもう喋れなかった。意識さえあるのかわからない。
耳は聞こえているから夫が何か話せという。
私は、ごめんなさいと泣くことしか出来なかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
何か言わなきゃいけないと思うのに
ごめんなさいしか浮かばなかった。
としこのおばちゃんはゼイゼイと苦しそうだった。母が『もうそんなに頑張らなくていい』と言った。
しばらくしてから叔父がきた。
叔父は少し変わっている。母が病気で入院したときも叔父は
『まず入院したときに必要なものを買いに行こう』といい着いた先は家具屋だった。家具屋で叔父は椅子を一脚買い
『お見舞いに来た人に座ってもらわにゃならんからな』と言った。
けれど病院には貸出用としてパイプ椅子があった。
そんな叔父が、としこのおばちゃんに
『頑張れ!息を吸って吐いたら楽になる!ほら!ゆっくり吸って〜吐いて〜!』と励ましていた。
さっき母が、もう頑張らなくていいと言ったのに・・・。
自己嫌悪と悲しみで目を腫らしていた私は叔父のおかげで幾分、平静を取り戻すことができた。
としこのおばちゃんはほどなくして亡くなった。叔父の誕生日だった。


としこのおばちゃんが亡くなってしばらくしてから聞いた話があった。としこのおばちゃんは私の子供が生まれてくるのを楽しみにしていて行きつけのラーメン屋さんで座布団を赤ちゃんに見立てて嬉しそうにあやしていたのだそうだ。
私は、それを聞いてまた泣いた。
としこのおばちゃんが亡くなった5ヶ月後に息子が生まれた。
写真を撮る習慣などなかった私の携帯の写真フォルダはたちまち息子の写真でいっぱいになった。
それを見返すしていたら心霊写真に気づいた。笑う息子の横に、野球ボールぐらいのオーブが写っている。オーブの中は、モヤっと煙のようなものが立ち込めていて、それがとしこのおばちゃんの顔になっていた。としこのおばちゃんは笑っていた。
私はまた泣いてそれでやっぱりごめんなさいと謝った。としこのおばちゃんに息子を抱いて欲しかった。
としこのおばちゃんが亡くなって数年後、
そう言えば、としこのおばちゃんには幼くして亡くなった双子の息子がいることを、ふと思いだした。
それならばあのときおばちゃんが男の子を可愛いと言ったのは・・・。


とし子のおばちゃんのお墓参りに通うときは、好きだったハイライトとコーヒーを持っていく。
コーヒーのプルトップをあけタバコに火をつけて
大好きだよ。ありがとうと手を合わせる。
今更なのは重々承知で。


余談ながらとしこのおばちゃんが亡くなってしばらくしてから夢を見た。
派手な登山ウェアに身をつつんだ
としこのおばちゃんからそろそろ旅立つと告げられる夢だ。
としこのおばちゃんの隣には同行者として色違いの登山ウェアに身を包んだおかっぱ頭の見知らぬおばちゃんがいた。
としこのおばちゃんの顔は晴れやかだった。
私は一言二言 言葉を交わしたように思う。
目覚めてから私は祖母に、こんな夢を見たと伝えると、祖母は『あぁ、とし子のおばちゃんと一緒にいたおばちゃんは○○さんや』
と当たり前のように言い話はそれで終わった。
言い切る祖母に驚いたが、祖母にとっては不思議でも何でもないことらしかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?