智恵子抄モチーフの二人芝居「トパアズ」を書いたはなし
ものすごーーーく久しぶりにnoteを書きます。脚本書きの西瓜すいかです。
今回、 三枝ゆきのさん と 末永全さん と御縁があり、2人芝居を書かせていただきました。
今回私が書いた2人芝居「トパアズ」は 高村光太郎 と 高村智恵子 がモチーフです。
さて、ここから、私が何を考えて書いたか?みたいなことをつらつらと書いていこうと思います。
お芝居は本来、【観て】【感じた】ことがすべてなので、これらは蛇足かもしれません。
【観た】ままはそれはそれとして【どうやって書かれたか】にも興味あるな、という方のみ、下にお進みください。目次だけ、先に公開しておきます。
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実は高校生の時から書きたかった
智恵子抄を読んだのは、やっぱり高校の教科書が最初だったんじゃないかと思います。(多分みんなレモン哀歌は読んだ事があると思う)その頃から私は舞台脚本を書いていて、モチーフにしたい、書いてみたいと思っていました。
けれど、だいぶ重みがある愛なので、10代では書けないだろうな、もっと上の年齢になってからだろうな、とも思っていました。
きっかけ:宮沢賢治の「銀河鉄道の夜✕緊縛」の脚本を書いた
これもまた御縁があり、2018年に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と、緊縛師有末剛先生のコラボレーションに参画させていただき、『銀河鉄道の夜 ―露―』という脚本を書かせていただきました。
カムパネルラとジョバンニが居る、「銀河鉄道の夜」と「宮沢賢治と高瀬露」の恋――とも呼べない、理想化と拒絶と性欲と純愛とが混ざったような関係性をモチーフにしたお芝居です。(ちなみに、あまり知られていませんが、宮沢賢治は熱心な法華経信者であり、性に対して抑圧的であったにもかかわらず、同時に熱心な春画のコレクターでもありました)
このお芝居では、長い時間をかけて行われた、銀河鉄道の夜の第三次稿から第四次稿への変遷の理由のひとつに、この恋ともいえない関係性が在ったのではないか?という仮定のもとに、ものがたりを展開しました。(もちろん、残っている資料をもとにした「こうかもしれない」というフィクションであり、本当のところは誰にもわかりません。)
大正~昭和初期の「うつくしい男と女の関係」を目指すエネルギー
色々と資料を漁っていくうちに、何やらこの時期、「男女のあり方」について、若き芸術家たちがこぞって悩み、何やら美しい理想をかかげ、恋愛結婚、新しい男女の形のようなものを芸術かなにかのように思って実現しようとし、心中沙汰を起こしたり、論説を書いたり、諸々行っていることが目につくようになりました。
二人芝居の打診をいただいた
『銀河鉄道の夜―露―』に出演されていた女優さん、三枝ゆきのさんから、2人芝居の打診をいただいたのは、確か2022年のはじめ頃、だったかと思います。『銀河鉄道の夜―露―』の宣伝用写真の撮影で、着物(というか襦袢)を羽織、縄をもてあそびながら歩く三枝さんの姿を見て「千鳥と遊ぶ智恵子」がどうしても頭に浮かんで取れなかったことを思い出しました。
【これ、今では?今こそずっと書きたかった高村光太郎と智恵子の話を書くべきでは?いや絶対「今でしょ!!」ってやつだ!!(古い】
と思い、なんと何も三枝さんに相談することがないまま、完全に私は「高村光太郎と智恵子を書く!!」と突っ走ったのでした。
光太郎は「悪い男」なのか?
智恵子さんが心を病んだ理由として、かなり多く挙げられているのが「光太郎が悪かった」というものでした。いろんな論調があるのですが、「気づかなかった」とか「モラハラだった」とか、「彼女に理想を押し付けた」とか、そういう論調が多かったように思います。
けど私は、そう思えなかった。
何なら、心を病んだ=不幸になった、とも、思えなかったのです。
近いな、と思ったのは、岡本かの子が書いた以下のシーンでした
それなりの量の書籍やら書簡やら年表やらを見て思ったのは「光太郎は、根本的に、現実を生きていく力を持った人だったのだ」ということでした。芸術談義をしながら、理想を見ながら、煩悶もしながら、それでも、現実のあれこれは【こなす】ことができる人のように思いました。平生の主義主張はありつつ、現実に適応し、時には主張を収めることも出来る――というか、それを無意識的に行えるひとだったのではないかと思いました。
金策を考えることもでき、日常の社交なども、とにもかくにもこなすことができる。納期があれば、納期通りに作品を作ることもでき、愛着を持った作品でも、売ることも(それはそれで必要ならば、寂しさや名残惜しさ、嘆きはありつつも)できる。そんなひとだったのではと感じられました。
対して智恵子さんは、限られた人との関係性の中では自由に振る舞うものの、根本的に器用ではなさそうに思いました。美しく在るべしと思ったら、現実なんか忘れて美しく在ろうとする、しかしながらひとりの人間であるので、やはり現実が崩れていったら、責任を感じる。現実における美しさと在るべき論と、理想における美しさ、在るべき論とを、うまく融合できないひとに見えました。
生きる力が、器用さが、現実を生きるために必要な一種の「見ないで居る」才能が違えば、どちらが悪いとかではなく、ひとは壊れるだろうと思いました。
とくにそれが「男女のあり方」そのものが、如何様であったら「うつくしい」と言えるのか?といったことが興味関心の対象であるようなコミュニティの中に居たなら、より、そうなるであろう、と思いました。
(芸術家―若い男と「新しい女」、の心中やら、才能ある女性の奪い合いやら、駆け落ちやらが話題に挙がっていた時代です。彼らも当然、何らかの「彼ら自身の関係性」を取り沙汰したい世間の目のようなものを、感じていただろうと思っています)
智恵子は愚かな人ではなかったし、おそらく賢かっただろう、と私は思っています。多くのものをあるがままに吸収しつづけて、アウトプットもなく、吸収したものをモデル化したり単純化したりするのではなく、頭と心にため続けたらどうなるか?ということを想像しました。
――いやぁ、溢れるわ。
と思いました。整理されない情報と情動で、溢れるな、と。
絶対美や完璧を求めると、いつまでも作品が完成しない、というのは、ものを書くときにもあることで、現実として「ものにする」ためには
『とにもかくにも、〆切だから、こんな状態だけどまずは●●さんに送ろう!』
みたいな、完全性に対する諦め、放棄、いい加減さみたいなものがどうしても必要になる、けれど、いつまでもいつまでも100%を目指して、いつまでも自分の中にとどめておいて、それでいて多量の「美」に、夫が作る作品に、文章に、都会で触れる美しいものや、同世代の人々がつくってゆく作品たちに、触れ続けていたら、情報過多で死んでしまう。
じゃあそれほどまでに、「完全」を求めたとして、彼女が最後まで守りたかった「完全にしたかった」作品って何だろう、と考えたときに
『並んだ水晶の壺』たる、ふたりの関係性
だったのではないかな、などと想像したのです。
光太郎もまた、「鈍感な人」ではなかっただろう、と想像しています。彼女の感じている世界はわからなくとも、彼女が大切にしたものを尊重したい、とは思ったのではないか、と思いました。
彼らはあくまでも「ふたり一緒」や「どちらかがどちらかの従属物」ではなく、1人と1人がそれぞれ立っていることを望んだ、それは単に「女が強くなる」とかではなく、現代から考えても、とっても難しい「うつくしい男女の関係」だったんじゃないかな、そんなことを考えて、書いてゆきました。
「新しい女」と子供
これは細かく資料を当たっていないので、憶測にすぎないのですが、岡本かの子にせよ、与謝野晶子にせよ、「子供が生まれて」「生活に困って」「とにも書くにも、作品なり行動なりを金に替えなければならん」といった事態になって、現実を生きる強さ、したたかさ、そして適度な「汚れ」を手に入れたように見えました。
そもそも、子供、面倒みてくれる女中さんが居たとしても、どうにもこうにも思い通りにならないし、割り切れないし理不尽だし、生活はカオスになります。
智恵子さんはどこまでも、「男と女のうつくしいありよう」をつきつめられる環境に居た、かもしれません。それが化学反応を加速したのかな、とも思いました。
紙絵に何度もあらわれる果物籠、彫刻とよく似た柘榴。ふところに居れて愛玩したという「夫の作品たち」を抱きしめること。あの時代に子供が居ない女性というのは、色々と言われることもあったのではないだろうか。そんなことも、思いました。
時間切れなので一旦締めるがまだ書きたい
超つらつらと書いてきましたが、今これを書いているマクドナルドが閉店するので、一旦締めます。(だけど、多分今後ちょっと加筆する。主に、トパアズの音楽について。音楽を作ったのは実は私のダンナどの(リアルな意味での夫)なのですが、そこで、「夫婦でみえてるもの、違うけど、あってる!!」みたいなことがあり、面白かったのでそれを書きます。
とにもかくにも、おふたりに感謝!!!
本当に、あの台本はわずか12ページしかなくて、それをあんなに豊かに表現してくださったことに感謝です。
あとあんなに予定より重い……色んな意味で重い本になったのに、修正や短縮もなく演じていただきありがとうございました!!
三枝ゆきのさん 末永全さん、本当にありがとうございました!
(そしていつか……いつか、また、観たいです。あの幸せな空間を。)