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20231219長い通夜

noteのアイコンにしているのは、私が高校生の頃に撮った、母方の祖父母の家で飼っていたコーギーだ。物心つく前からそこに居た彼はチャンピオン犬で、小麦色の毛並みが本当に美しくて、つやつやの目をしていた。名前をごんちゃんという。母の兄、私にとっての叔父が無許可で飼ってきたもので、赤ちゃんの頃は耳が折れていた。かなりの食いしん坊で、食パン一枚まるまる祖母からもらっている様子を見たとき正直引いた。

ごんちゃんには相方が居た。母の妹、私にとっての叔母が飼っていたパピヨンのポコちゃん。ちょうど叔母が飼ったアパートの前が不二家で、オスだったから「ポコ」と名付けたらしい。叔母が結婚して二世帯住宅を始めたとき、ポコちゃんはごんちゃんと一緒に暮らすことになった。どちらもオスで、実際のところ仲良しだったかは分からないけれど、祖父母の家を訪ねた時に見た二匹はのんきに並んで餌を食べていたので、特別不仲では無かったのかなと思う。

祖父母の家に行くと、よく二匹の散歩をした。私はポコちゃんの手綱を引いて、姉はごんちゃんのものを握った。先頭を歩く祖父について、荒川沿いの土手を歩き回った。すらっとしたポコちゃんは蝶のような耳をひらひらと揺らして優雅に歩いて、少し肥満気味だったごんちゃんはでっぷりとしたおしりをふりふりと振った。蜂蜜を垂らしたような夕焼けが、ごんちゃんの小麦色を照らすと黄金に輝いて、本当に美しかったのを今でも思い出す。

上手に焼けた一斤のパンのようなごんちゃん

飼っていた、と書いたように、ごんちゃんは十八歳でこの世を去ってしまった。あれだけ美しく、可愛らしい表情をしていたごんちゃんの最期は、病気で寝たきりだった。排泄機能がうまく働かなくて、オムツを履いていた。目はうつろで、苦しそうに鳴く声を時々上げて、何かを訴え続けていた。

ちょうどその頃、実家で犬を飼い始めた。今年7歳になるマルチーズで、今もとびきり可愛いけれど、赤ちゃんの頃は本当にぬいぐるみのようで、一挙手一投足が危なっかしくて愛おしかった。私たち一家が幸せに犬を飼っている傍ら、祖母はごんちゃんの介護で心身ともに疲弊しきっていた。

ちょうどその頃、祖母に言われたことがある。
「犬なんて飼うもんじゃない。可愛いだけで終わらない。人間の都合で延命させられて、毎日苦しそう。お金もすごくかかるんだよ」

犬を飼い始めたばかりの人間になんて嫌味な、と思わなかったといえば嘘になるけれど、祖母の言葉は正しかった。ごんちゃんは入退院をくりかえしながら命を繋いでいた。延命治療をするか、自然死をするかの二択の会議が叔母家族との間に起きたという。ごんちゃんともう少し一緒に居たいからという理由で、ごんちゃんはあんな姿になって最期まで生きた。

ごんちゃんが亡くなって、祖母は泣きじゃくったらしい。祖父母の家にはごんちゃんのお骨が仏壇にあって、大好きだったドッグフードが常に供えられている。写真の中のごんちゃんは笑顔だった。もう戻ってこないけれど、祖母は「見送ることができて本当に良かった」と涙ながらに語っていた。その複雑な心中想う。

ごんちゃんが亡くなってすぐ、ポコちゃんも死んでしまった。ごんちゃんの死後三か月後だった。老衰だった。二匹の仲が良かったのかは分からないけれど、そこに確かな絆があったのは事実だと思う。一人じゃ退屈だったのかなと思う。ポコちゃんのお骨は、ごんちゃんのお骨の隣に並んでいる。空での暮らしはどう、と尋ねても声は返事はない。当たり前のことだった。

二匹の死後の翌年、祖母はあんなに苦言を呈したのに、新しく犬を飼った。おいおいどうしたんだと思っていたところ、それは叔母が祖母に贈ったものらしい。犬を失った傷は犬で癒されて、祖母は以前の覇気を取り戻し、私たちがそうしていたみたいに小型犬をたいそう愛でている。元気ならよかったなと思う。

どうして急にこんなことを思い出したのかというと、『 プロフェッショナル 仕事の流儀 』“ジブリと宮崎駿の2399日”という番組の、見逃し配信を一昨日見たからだ。

2023年夏に放映された「君たちはどう生きるか」という宮﨑駿監督作品のアニメーションの製作ドキュメンタリーであるそれは、一時間と少しの間、製作の様子というよりはむしろ、2018年にこの世を去った高畑勲を、映画製作で弔おうとする宮﨑駿に焦点が当てられていた。

鈴木敏夫は映像中で、「宮さん(宮﨑駿)はずっとパクさん(高畑勲)に片思いをしてるんですよ」と語っていた。彼らの関係性については映像を見ていただくほかないが、宮﨑駿はとにかく高畑勲に打ちのめされていた。自分自身に超えることなど到底できない圧倒的な存在のそばで、自分以上の次元で生きる高畑勲に対する宮﨑駿の感情は、テレビの前でそれを見ていた私には到底分かり得ないものなのだと思う。それでいて、宮﨑駿の理解者たり得るのはきっと高畑勲くらいなものだったんだろうとも思った。

高畑勲への死に対する感情について、宮﨑駿は「残酷な勝利感」と形容した。映画製作をしながら、取り憑かれたように草木を掻き分けて雨の中を散歩する映像を見たとき、高畑勲から逃げているようにも追いかけているようにも感じた。面影を恐れながら、一番に会いたがっているようだった。ただの視聴者には計り知れない、ひそやかな罪を抱えていて、懺悔しているように静かなシーンが連続した。

「長い通夜やっているな、俺は」
宮﨑駿が呟いた言葉だった。低い独り言のようなそれは、ひとつの本質を捉えていたと思う。遺された者のやるせなさ、遺された刹那的な時間の途方もなさが襲い掛かってくる言葉に、自然と涙が流れた。愛犬のマルチーズが歳を重ねるたびに胸が痛む気持ちは、長い通夜を迎えることへの恐怖心だったのかもしれないと思った。

「君たちはどう生きるか」という作品に大叔父様というキャラクターが登場する。仙人のような容姿をした、穏やかな瞳を持つ言葉数の少ない老人を、宮﨑駿はずっと描けずにいてもがいていた。これはパクさんだと明言して、何度も線を引いて、消してを繰り返していた。大叔父様を描いて、作品を世に出すことで未練を断ち切る。作品の完成に五年もの歳月を要した理由のひとつに、決別に要した時間も含まれていたのだと思う。

祖母の話に戻る。ごんちゃんが死んでずっと元気のなかった祖母は、新しい命を迎え入れて、愛でることで元気を取り戻し、祖母の中の通夜を終えられた。祖母と宮﨑駿を並べるのはなんと不敬なことか、と思ってしまうものの、手向けの花をすぐに供えることができるほど、遺された者の心は簡単に立ち直らない。

鈴木敏夫が「宮さんにとっては映画が現実で、現実は虚構だ」と語っていた。宮﨑駿が生きていくには映画が必要で、映画を生み出すには自身にとって神様のような存在を未練なく弔うことをしなければならない。それは、宮﨑駿にとっては映画でしかなし得ないものだったのだろうな、と思った。

想ったままに言葉を書きなぐってしまった。私はただのジブリのファンで、私の言葉には何の意味も持たない。愛おしいものの死が怖くて、愛おしかった瞬間にすがってしまうだけの弱い者だ。してしまったこと、してあげられなかったことにずっと囚われる命だ。

これから先、宮﨑駿の新作は出るのだろうか。私の愛犬が亡くなってしまうのが先だろうか、それとも私が先に死んでしまうのだろうか。未来は分からない。だけど長い通夜を送る側にはなりたくないな、なんて思ってしまうのは、あまりにも私がわがままだからだ。



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