20240203 好きすぎるものを書くには抵抗がある
好きすぎるものを書くには抵抗がある
前提知識とか、相手に伝わるように書かないとと思うと、それなりに情報を詰め込んで、結局言いたいことが見えなくなってしまうのが嫌だった。感動的なことを書きたいわけじゃない。抱いてきた感情を、そのまま書き綴っていく。
私とCreepy Nutsの出会いは2020年の年始だった。ももいろ紅白歌合戦で「あゝオオサカdreamin'night」を歌うR指定と、DJでパフォーマンスをするDJ松永を見て、単純にいい曲だな、すごい技術だなと思って感心していた。
それからラジオの切り抜きがSNSに流れてきて、彼らの人となりを知った。なんというか、もっとシュッとしてカッコつけた感じなのかなと思っていたけれど、彼らはあまりにも言葉数が多く、とにかくまっすぐで、とんでもなく面白かった。
どうしよう、好きになっちゃう!応援しちゃう!という謎の焦燥感に駆られて、ディズニーランドへ遊びに行っている最中、「もうダメだ!買います!」と言ってApple musicで彼らが発売しているすべての音源を購入した。それが2020年の1月の終わり頃。
当時、私は名古屋で一人暮らしをしながら仕事をしていた。慣れない環境にストレスを募らせて、入社してから5キロ太った。月に一度、実家である埼玉に帰って友達や家族と過ごして心を回復させ、また仕事に戻る生活を繰り返していた。
2月にCreepy Nutsのオールナイトニッポン0の、初めてのイベントに滑り込みで参加した。DJナカムラシャツというよくわからないグッズのため、朝9時からサンプラザ中野へ行ってグッズ列に並んだ。ちょうどその頃、コロナが猛威を振るう前夜のような空気感が出ていて、声を出してイベントに参加できる最後の機会だった。
ちょうどその頃、職場の先輩が赤ちゃんを身籠った。社会人2年目にちょうど差し掛かるところで、引き継ぎをやらないとね、という話をしていた。先輩の仕事はかなり専門的なもので、理解が浅かった私はとても不安だった。
それからコロナが本格的に流行して、リモートワークが推奨されるようになった。妊婦の先輩は、そのほとんどをリモートワークで過ごした。それは仕方がないことだったけれど、引き継ぎもうまく進まないまま、とりあえず担当を任されてしまった。失敗するとたくさんの人に迷惑がかかるような仕事だった。プレッシャーと不安で押しつぶされそうで、朝7時に会社へ行って、夜の23時に退勤する日々が続いた。
精神を病んだのはその頃だった。ワンルームはどんどんゴミ屋敷になっていった。冷蔵庫の中を見るのが怖かった。布団は何日も干していなかった。家に帰るのが怖くて、目の前にあった公園のベンチに腰掛け、缶チューハイを飲みながら夜を明かしたこともあった。自分が自分であるのが怖くて、休日は男装をして過ごすこともあった。
眠れない夜は多かった。そこにいた男性社員のハラスメント傾向は強かった。笑顔を向けてもらったことなんて一度もなかった。とにかく精神を疲弊していた。緊急事態宣言下で遠出もできなかったから、GW中実家に帰ることもできなかった。もともとあった癒しは、何も無くなってしまったのだ。
だから毎日cnann0を聴いていた。Creepy Nutsだって、ライブができない、音楽活動がまともにできない状況を強いられていた。けれど彼らはあっけらかんと笑って、くだらない話を延々としていた。眠れない夜はラジオを聴いて、仕事に行きたくない朝はタイムフリーを聴いて、己を奮い立たせていた。
書きたいことが多すぎる。2020年から2021年は、ずっと彼らに生かされてきた。鬱の症状が改善されてからはまた別の存在に癒やされるなどしていたけれど、それでも毎年必ずライブに行って、ラジオを思い出したように聴いていた。
狭い部屋で、唯一の話し相手がcnann0だった。唯一の希望がCreepy Nutsだった。彼らみたいに自分のことを信じて、夢を次々と叶えていく姿が眩しくて、私も同じステージに、私なりの方法で立てたらいいなといつも思っていた。
久しぶりに松永さんの声をラジオで聴いた。健康になったことをあんなにも自慢できる人、いるんだと思ってゲラゲラ笑った。いい意味でずっと態度がデカかったから、大きすぎる実績にも見合っていてそれがおかしかった。心根が変わらないのは、きっとRさんも同じなんだろうなと思った。
Creepy Nutsが好きだ。そして、Creepy Nutsを好きな自分のことが、心の底から好きだ。彼らを好きな自分だけが、ブレずに生きてきた証左だとしんじることができるから。
大きすぎる圧倒的な評価はもちろんだけど、1年ぶりのワンマンライブが本当に楽しみです。