医療従事者が癌と診断されるまで、その2
見て頂いてありがとうございます。今回は診断から治療に至るまでのお話をしたいと思います。個人的には一番濃密な期間だったなぁと今になっては思いますね。
診断までの経緯:下部消化管内視鏡と結果の説明まで
下部消化管内視鏡を受けながら淡々と先生の説明を聞いていきます。
「あーこれね、見えますか?」
先生は見やすいように画像を調整していただきながらわかりやすく説明していきます。
こちらも医療従事者としての知識がありました。先生の説明も十分理解できていきます。
説明を聞けば聞くほど、信じられないほどに、理解できました。
「あー、そうですね。うちではこの大きさでは手術できないので、大きな病院に紹介状を書きます。まずは、治療をできるかを検査していきましょう。」
先生の励ましも、どこか上の空で、数十分前には下剤がきついなーと笑っていた私は、もうどこにもいませんでした。
こういう時に取り乱したり、泣き出したりする人も多く見てきましたが、私の場合は感情が消えてしまうんだなぁと冷静に考えたり、現実に向き合えていないような状況が続きました。
家族にはもう検査は十数分で終わるから迎えに来てーって連絡をしていましたので、説明を受けた後、紹介状を書いている間に家族が迎えに来ていたようなので、車で伝えました。
「検査はどうだった?」
「うん、癌だって、早期癌じゃなくて進行癌。今紹介状を書いてもらってる」
「えぇ!?」
我ながら淡々と伝えたもんだと後になって思いましたが、今思うと自分でも受け入れられていなかったんでしょう。
そしてそのまま職場、他の家族・親族等にも説明。反応は様々。職場に関しては「元々その気配はあったのか?」等と問診みたいなのも始まりそうでしたが、そんな余裕はなく、とりあえず紹介状を書いてもらっている事を説明しました。
家族と一緒に紹介状をもらうために先生の所へ、こちらが方々へ連絡をしている間に先生はかなり考えてくれていたようで、次に紹介する病院の紹介状を書きながら、病院の予約まで確保して頂いて、翌日に精査が可能な状況にまで整えて頂けました。
そして貧血の原因も大腸がんが原因とのことで、鉄剤を処方して頂き、心ここにあらずといった様子で薬局へ行き、その日は眠りにつきました。
というのは嘘でして、まぁ・・・寝れる訳がありません。
家族と眠りにつきますが、子どもの顔を見ながら感情が溢れ出します。
私はこの子達が大人になるまで生きられないの?
まだまだやりたいことがあるのに、何でこんな事に?
食生活の問題?ストレス?心当たりがありすぎる・・・。
延々と考えが巡っていきます。家族も心配していたようですが、一番ビックリしたのが上の子が寝る直前に、
「ねぇ、これからもずっといっしょにいてくれるの?」
と突然聞いてきたことでした。子供の前では話はしないように注意していたのですが、雰囲気で察していたのかもしれません。
私は出来るだけ落ち着いた声を出そうと、声を震わせまいと注意しつつ、
「大丈夫、一緒に、ずっといるからね・・・」
そう言って子どもの頭を撫でつつ、寝るまでそうしていました。
まさかこんな小さな子にまで気づかれるくらいに落ち込んでいたとは・・・。
親として失格・・・とまでは言わないけれど、この不安を子供達に伝わるわけには行かない。
ある意味子どもに勇気づけられた時でした。
不安な時に寄り添ってくれる家族は本当に心の支えになってくれたと今でも感謝しています。
診断までの経緯:確定診断とステージ診断までの2週間
検査翌日、紹介先の病院へ受診に行きました。
家族も同伴していただき、まずは主治医の説明を受けます。
前の病院でも説明があった通りの説明がありました。
早期癌ではなく進行癌以上であること、
まずは精査を行い、どこかに転移していないかを見ていくこと、
転移していなければ手術が行えること、
転移していれば手術が行えず、対症療法になること、
先生の説明を聞きつつ、前半は前医で聞いた通りでしたが、最後の転移していた場合の説明はそうだよね・・・と頭では納得しながらも衝撃的ではあったと思います。
そこから淡々と造影CTや大腸検査等の転移の検査を受け、最後に先生に説明を受けました。
「では細胞診の結果が出ることも含めて2週間位期間が空きますので、その頃ぐらいに説明を行います」
あ、すぐ説明してくれるわけじゃないんだ。
・・・え?こんなふわふわした状態で2週間を過ごすの?
こんな事を家族と話しながら帰路につきました。
職場も翌日に普通に出勤し、仕事を再開しながらも、心ここにあらずといった所。
後半1週間は精神的にも難しくなり、担当患者の引き継ぎなどを終わらせて休みを取るようになっていきました。
この二週間は本当に精神的に辛かったことを覚えています。
子どもと一緒にディズニーを見て、リメンバー・ミーの死後の世界のシーンで自分も死んだらどうなるんだろうと考えたり、
葬式のCMを見て、自分が死んだときの葬式はどうしたいかなぁ、いやでも今考えることじゃないな、と悩んだり、
もし転移しててステージ4だったら、どこまで生きれるんだろう、苦しいのは嫌だなぁと思ったり、
仕事中も、家でも、寝る前でも、どんな状況でも考えが付きまとってきます。自分でも振りほどこうとするものの、ふと空いた時間ができると考え続ける毎日でした。
好きな番組も、動画を見ても、どこか自分には反映されないような、響くものもなく、自分の中で考えを反芻することでいっぱいだったと思います。
家族や子供達と接していることだけが、その時間を和らげてくれるような、そんな永遠と思うような日々が過ぎていきました。
確定診断とステージ
そして2週間が経過、いよいよ診断結果の説明の日がやってきました。
家族とともに主治医の先生の所へ、
結果としては転移は認められず、ステージはⅢ。手術が可能であることを説明されました。
治療ができる、転移がなかった。その事だけがこの二週間願っていたことでしたので大きくため息を付きましたが、
それ以上に大きな安堵のため息をしていたのは家族でした。
その時に、家族に思いを打ち明けたりして、励ましてくれていた家族も、同じように、もしくはそれ以上に気を張っていたんだなぁと思いましたね。
そこからは家族と食事へ、最悪の事態は避けられたことも含めて、その時の食事はすごく美味しかった事を覚えています。
家族や職場へ説明を行い、次は手術へ向けての準備を進めていくことになりました。