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『藝人春秋2』上下巻の書評(1) (脱帽 博士の記憶と筆力 By三谷 幸喜)
2021年2月9日、3月9日と連続して発売となる、『藝人春秋2』上下巻の文庫化、『藝人春秋2』と『藝人春秋3』です。
2017年発売の単行本版『藝人春秋2』上下巻には多くの書評が寄せられましたが、そのなかから順次紹介して行きたいと思います。
最初はボクに書かれた人からの書評として、あの劇作家・三谷幸喜さんの書評を掲載します。
(単行本 2017年 『藝人春秋2』上下巻)
脱帽 博士の記憶と筆力 By.三谷 幸喜
2017年12月7日「朝日新聞」夕刊
「三谷幸喜のありふれた生活 875」より
水道橋博士の新著「藝人春秋2」は、なんとハードカバーの上下巻。
まるで海外ミステリーの新刊本のような装丁だが、中身は爆笑必至のノンフィクション。
博士が出会ってきた芸人や著名人たちの、奇っ怪な生態が容赦なく、しかし愛情たっぷりに描き出されている。
博士とは面識がないわけではないが、決して親しいわけでもない。
ただ、昔からどうも他人と思えない何かがあった。
常に誰かを驚かせたい「あいつは人を食ったヤツだ」と言われたい。
洗練された「いたずら小僧」でいたいと願い続ける男。
しかし、どこかもうひとつ粋になれず、常に泥臭さがつきまとう。
そんな博士のイメージは、そのまま僕にはね返る。
特にこの「藝人春秋」シリーズを読んでいると、作中に登場する著者は、驚くほど僕自身に似ている。
照れ屋なくせに、いや、照れ屋だからこそ、たまに大胆な行動に出てしまう。傍観者でいたいわりに、自ら物事の中心に深く食い込む「アグレッシブな傍観者」とでも言うべきスタンス。
それは学生時代から今に至るまでの僕そのものである。
三十年以上前に、三遊亭円丈師匠が書いた「御乱心」という小説がある。
落語協会分裂騒動の顛末を描いた実録物(?)だ。
その酒脱な筆致、人物描写の巧みさは、今でも僕が文章を書く時のお手本。
そして水道橋博士の文章を読む度に、僕はこの「御乱心」を思い出す。
題材の選び方もそうだし、人物への愛情の注ぎ方も似ている。
そこからあふれ出るおかしみも。
師匠と博士は我が国の、隠れた二大ユーモア作家だ。
しかし、僕がここで「藝人春秋2」を紹介したかった理由は他にある。
下巻の第十章「芸能奇人・対決編1」の主人公は、なんと僕。
十年ほど前、新幹線の中で博士と遭遇した際に起きたちょっとした事件の顛末。
橋下徹氏、猪瀬直樹氏、寺門ジモン氏といった癖のあり過ぎる人たちの癖のあり過ぎるエピソードの中に突然、僕の話が出てくる。
なんだか非常に気恥ずかしい。
一読して感じたのは、はたして僕の章は他の章と同じくらい面白いのか。
爆笑実録物としてのクオリティーを保っているのか。
なにしろ当事者なので、冷静に読めないのだ。
僕は博士にネタを提供しただけで、執筆には一切関わっていないが、やはり自分のことが書いてある以上は、面白くあって欲しい。
非常に残念なことではあるが、ここに登場する僕は、まったくいいところがない。
あの悪評しか聞こえてこない、芸人三又又三氏ですら、愛すべき人物として描かれているというのにだ。
博士が車内で出会った「三谷幸喜」という脚本家は、ただの「迷惑な子供」。
「いい歳してお前何やってんだ」的な言動を繰り返す変人である。
これはあんまりだ。
面白ければ何を書いてもいいのか(しかも本当に面白いかどうかは僕には分からない)。
だが、なにより腹が立つのは、ここに書かれていることが、すべて事実ということである。
博士の記憶と、文章による再現力に脱帽。
(イラスト・江口寿史)
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三谷幸喜さんの章は、文庫版『藝人春秋3』の登場します。
井筒和幸さんの章と、連章になっています。
新幹線の中で遭遇したふたりの仇敵。
一触即発。そこに巻き込まれた水道橋博士!!
実写版・仁義なき戦い!!
果たしてどんな騒動となるのか。
是非読んでみてください。
(イラスト・江口寿史)
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