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2023年12月10日(日曜)昼は長野県上田の丸子文化会館で談慶師匠と舞台。夜は浅草東洋館でアル北郷とトークライブ2連戦。 芸人冥利に尽きる一日。

6時半、起床。

日記を書く。
昨日の残りの納豆キムチで朝食代わりに。

♪喉は夜更け過ぎには
咳に変わるだろう。
インフルじゃNight。
インフルじゃNight。

と鼻歌を歌いながら、
ママに咳止めを貰う。

熱は無いから、インフルでないと言い聞かす。

信州上田〜浅草に向けての荷造り。

日曜の阿佐ヶ谷発だと
家からバスに乗って阿佐ヶ谷駅ヘ向かい、
さらに乗り換えが必要だと昨晩聞いたが、
今回は自分で調べることにした。
ナビタイムはインストールしてあるのだ。

最寄り駅まで歩いて行って、
西武線で高田馬場で乗り換え
山手線で着けることがわかった。

高田馬場の乗り換え、
東京駅に向かうのに、
内回りが良いのか、
外回りが良いのか、
結局、そこはわからないまま。

なんとか東京駅までたどり着き、
中川マネージャーと出会えた。
「待ち合わせ場所は改札出なくても良かったんですよ」
と言われながら、北陸新幹線へ乗り込む。
あさま609号。
導かられた座席に腰を下ろし、
「意外に狭いのな」
と思いつつ乗っていたら、
中川マネがやってきて、
「スイマセン。席間違っていました」
8号車から11号車グリーン席へ移動。
言わなければ気が付かなかっただろう。

そもそも鬱の時は電車に乗れなかった。
電車に乗れるだけでもありがたい。
いわんや新幹線グリーン車をや。

久々の新幹線移動。
朝日新聞を買ったら、
ボクが読みたかった、
武田鉄矢さんのお父さんの話の掲載号だった。

こういう偶然は必然なのだ。

数ヶ月前に三又又三に連れられ、
海援隊のライブを横浜の関内まで見に行った。
その時の受けた感銘と共に、
武田鉄矢さんの話は、
何時か書きたいと思っている。

約1時間半で上田へ到着。

上田駅でお出迎え。

「ハカセ、誰だかわかります?」
と小池朝雄さん風の老けたオヤジに聞かれる。
「……コ……ロ……ン……ボ?!」
正解だった。
「どうでもいいけど、ふたりとも老けたね。
お互い様だけど。元気だった?
オレに言われたくはないだろうけど……」
などと軽口。
30年ぶりくらいの再会だ。

クルマ2台に分かれて、
地元の蕎麦屋さんへ向かう。

塩田屋さん。
こういう時に連れて行かれる店は
確実に地元のNo.1だ。

皆、頼むのは蕎麦なのだが、
ボクは嚥下障害の原因に、
多少の蕎麦アレルギーがあるので、
肉うどんに。

前菜の小皿が全部、美味い。
野沢菜は安定した美味さだが、
ぬたの和えものが良かった。

肉うどんの肉は馬肉だった。

麺つゆは真っ黒だが濃くなく。
全部飲み干せる。
手打ち麺は絶妙。

劇場までの道中、
素晴らしい田舎の風景に癒やされる。

橋はひとつひとつ撮りたいほど、
かっこいい。

まさに、この田舎から、
談慶師匠は東京の慶応大学へ進んだのかと思うと、
同じ田舎者として「あの頃」の気持ちが蘇る。

道中、コロンボと思い出話。
90年代、彼らは
太田プロのイチオシ漫才師だった。

そして、ボクがあちらこちらで
彼らを推していたらしい。

丸子文化会館へ。

『冬の陣2023トークショー&落語寄席
立川談慶 水道橋博士』と題して。

楽屋でコロンボと記念写真。

談慶師匠との2ショット。

香盤表。
「最初のちぃチャンって誰ですか?」
「うちの母です」と。
90歳近く?でご顕在なのは立派だ。

会場は広く、綺麗だ。

楽屋へは次から次へとお客様。

そして、お土産を皆様くださる。
ありがたいことだ。
芸人冥利に尽きる。

満席の舞台へ呼び込まれる。
30分の対談時間。

最初に参議員辞職の話を深くお詫びしてから、
30年も前の談春志らく vs 浅草キッドの話から。

談慶師匠は、
今や、10年間で25冊の本を書き続けてきた、
立川流の「本書く派」なのだが。

この日に向けて、
ボクのリクエストで2作の本を用意してもらった。


このデビュー作でやられた。

『大事なことはすべて立川談志に教わった』

慶大卒のインテリが、
新卒ワコールへ入社後、
意を決して徒弟制度の世界へ飛び込む。
しかも立川談志門下だ。
あらゆる理不尽を強制され、
七転八倒の苦労を味わっていく。

師匠と同じく、
徒弟制度育ちのボクは、
この本にいかに共鳴してことか。

弟子教育の真髄が書かれていると、
この本を買い集めて、
後輩芸人や周囲のスタッフに配ったものだ。

『天才論 立川談志の凄み』は、
ボクが編集長の『メルマ旬報』で連載した。

談慶さんを書き手にスカウトして、
タイトルもあらかじめボクがつけた。
原題は『アマデウスの噺』だ。

凡才・サリエリ(談慶)から見た
天才・アマデウス(立川談志)
を仰ぐ天才論。

この原稿を一回、一回、
書き上げて貰うたびに、
モニターの前で読みながら泣いた。

原稿が超一流の人情噺だったのだ。

本を紹介するのに手に持った時に、
毎回の「それ」を一瞬で想いだし、
舞台で泣き崩れそうになった。

配信なしなので変装免許話。
倉庫から、パネルが一式出てきたのだ。

談志師匠が
「たけしに唯一かなわないのが、
 オレには前科がないんだよ」
と、よく言ったが、
「談慶師匠、ボクにも前科があるんですよ!」
と胸を張り、
一連の写真を見せていく。

変装免許証漫談で10分近く押したが、
無事終了。

『次の長野県知事選に立候補します!』
で締めた。

純朴で温かい老若男女に囲まれ、
大いに受け、万雷の拍手。

もっと話たいと思った。

ボクはもう61歳だ。
「今はまだ人生を語らず」の年ではない。
たけし軍団に入ってからの波乱万丈、
そして参議院時代の話や
そしてなにより鬱病の話を
その回復法の話を語るべきだと思った。

ボクは体験をもって
数々の苦境を笑い話に
変えることが出来るのだ。

その役割を担うべき歳になった。

今日決めた。

来年は、
地方出身者と一緒に講演会や
2ショットのトークを組んで地方を回ろう。

土地土地の美味しいものを食べて、
温泉につかって帰る。

それは素晴らしい老後だ。

談慶師匠にご挨拶して飛び出し。

帰途も信州の景色に癒やされる。

山に雲がかかるところが良い。

帰途の新幹線。グリーン席が貸し切り。

パソコンを取り出し、
RTをしまくり。

上野駅からから田原町へ乗り換えて、
中川マネと歩いて、浅草フランス座、
もとい、浅草東洋館へ。

本日の夜公演。

こちらの楽屋にも差し入れが届いている。
長野でいただいたものとを並べる。
本当にありがたいかぎりだ。
芸人冥利に尽きる。

こちらもアル北郷の独演会のゲスト。

もう10周年になるのだ。
このライブへ向かって、
北郷が、カラオケ屋に籠もって、
よく練習していた。

彼は僕の部屋の居候だった後輩だ。

若い頃から、吃音があるし、
口跡も滑らかではなかった。
なによりチャランポランだった。

だからこそ、こうして独演会を
10年も我慢強く続けられるような
芸人になれると思っていなかった。

19時開演、ユンボくんの前説から。

午前中にはコアチョコのライブで優勝したばかりだ。

北郷が登場して、
1時間強、ひとり語り。

良く練れていて良く繰れている。

以前は、紙芝居風だったが、
今はプロフェッショナルに、
写真と映像をコントロールしてもらっているのだが、
これが実に的確で素晴らしい。

そして舞台に呼び込まれる。

ふたりでトーク。

昨日決めていた3ネタ。
だけでなく脱線に次ぐ脱線。
底が抜けた話の連続。
下ネタのさらに下ネタ。

とにかく、テレビ・ラジオの
レギュラーがない上に、配信なし、
それなら忖度なしの無双なのだ。

途中で、「声が飛ぶ?」
ボクは滅多にないので自分でも意外だった。
よほど調子に乗って喋っているのだろう。

ボクが一旦はけた後、
北郷がA-Studio風にもうひとネタ。
スズキ秘書の話。

泣ける話だから間がもたない。
そこはボクと同じだ。

後から聞いたのだが、
スズキ秘書は客席に来ていたらしい。

終了後の2ショット。

北郷の姉に呼ばれて、
ロビーでファンサービス。

そして、来年の8月18日の生誕祭の仮予約をした。
「来年は空いています!」と。

みんなで歩いて居酒屋「縁」へ。
打ち上げ。

昼、夜、2本分ライブの打ち上げなんで、
次々とハイボールを飲み干す。

スタッフ&お手伝い芸人と
芸論、たけし論。止まらず。

帰途、フルスイングの利根川さんと
タクシーを同乗。
コンビニがトイレを貸してくれなく、
時限爆弾コントに。

利根川さんと来年の企画を詰めながら
あれもやりましょう、
これもやりましょう、と。

嗚呼、オレ、すっかり回復しているよ!

利根川さんを高円寺で先におろして帰宅。

12時を過ぎていたが、
「ハカセ会」のYou Tubeの生配信。
昼間は出来なかったが、
ギフトのハットトリックで労っていただく。

26時頃就寝。

明後日、明々後日も
高円寺パンディットでライブだ。

ライブやっていると
生きていて良かった!!
と思える。
そんな夜がある──。

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水道橋博士
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