バカ虫
夕暮れ。
遠くの道の真ん中で、点にしか見えない程の虫が、暗くモヤがかかるほどにダンゴになって飛んでいる。
自転車なんかでその場を通ると、奴らは逃げるわけでもなく、そのまま顔にぶつかる。
パチパチと顔に当たり、口の中にも入ってきたりする。そしてあらかた死ぬ。
ぺっぺっ、なんだよ、もう
「あの虫、何て呼びます?」
男ばかり、名前も知らない者同士、ただ保育園門の前に立っている。今立つこの日暮れ時に、ふとその虫が頭に過った。
右隣のひとにがそれに答える。
「わー虫って言います。わーって固まって飛んでいるから」
なるほど、
左隣の人か受け応える。
「僕の田舎じゃあ、バカ虫って言うなあ」
「言い得てますね。避ければいいのに、そのまま死ぬ。バカな虫です」
「いや、アイツら、よく人の頭の上で飛んでいるでしょう。それがバカっぼいし、事実、僕らの子供の頃は、近所のバカの上でよく飛んでたんですよ」
文字にするとトゲがあるが、想像する分には、牧歌的情景が目の裏に浮かぶ。
門の向こうの園庭に、ふわっと現れた小さな人影はピンクのリュックを背負っている。
わが娘だ。
「それではお先に」
わたしは彼らと別れを告げ、門を開け、中に入る。6時以降の保護者のお迎えは電話連絡の後、門の外で待たなければならない。
夕暮れ過ぎ、宵闇、帷が落ちる頃、
娘は園庭にひとり立っていた。
薄闇に立つ娘は黒い人影となっていた。
その人影の上にモヤの様に蠢くものがいた。
目を凝らすまでもなくそれは認識出来た。
バカ虫。
バカ虫が我が幼子の頭の上で跳びかたまっている。
確かにバカっぽい。
そう思い眺めていると、わたしを認識した娘が突進してきた。
「パパ!」
そう叫び、わたしの方に進撃してくる。そしてバカ虫も娘の頭上に取り憑く様にして進撃してくる。
一緒に動くのかよ。
娘がわたしに目が掛けて駆け出した時は、飛び上がる様に抱きついてくる時だ。あの虫を除けるということは娘をマタドールのように、
オーレ!
とする事になる。
それは出来ない。
観念するか。
進撃する娘と虫
ぐんぐん近寄る。
娘は胸下だが、虫はまさに顔面に直撃する高さだ。
娘も虫も迷いがない。
アレがわたしの顔に直撃するのか。
やっぱり嫌だ。
南無三!
飛び上がる娘にグッと膝を曲げ、脇を持ち上げる。娘の頭はそのままバカ虫のモヤの中に差し込まれた。
刹那。
持ち上げた娘を、脇腹を起点に前後左右に振り回す。
娘の頭はぐりんぐりんに振り回される。
何かの遊びと勘違いした娘はキャッキャッと喜ぶ。
目の前のバカ虫のモヤは消えた。
死んだのか、何処かへ消えたのか、もう影すら無い。
娘を下ろし、並んで歩く。
ふと娘のつむじを見るとバカ虫が1匹乗っていた。追い払うつもりでてを振ると指先で殺してしまった。
「パパ、変な虫いたね」
娘は気付いていた。
「何あれ?」
バ…
と言いかけて、ふとさっき殺したやつの事を思った。
あれもまた命。
「パパもよく知らないんだ。でもね、あんな小ちゃい虫でも、同じ生命があるだよってほんがあるから、お家に帰ったら読んであげるね」
「絵本?やったー!絵本のお名前は?」
本の名前は 「よだかのほし 著宮沢賢治」
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