バーチャル・寝そべり族になろう!
免責
この記事は個人の感想であり効果効能を保証していない。また、お気持ち表明や無意味なレスバなどあなたが受け取った感情の返品・交換は受け付けていない。掲載している情報は投稿時のものであり実際と異なる場合がある。また特定の思想や集団を支持・反対するものではなく、書かれていることは全て一般論である。
なぜバーチャルなのか?
現実の世界、特に日本社会で「寝そべり族」(労働忌避)は難しい。
とにかく「聖なる労働と納税」をしていないと、まるで人権を剝奪されたかのような酷い扱いを受ける。
仮に労働をしていたとしても、顔や性別・年齢など自分の意思とは何ら関係のないリアルの属性に基づいて差別され、税も高く出会いもなく、遺伝子論や適者生存という間違った化学の解釈が横行し、真に幸せな人生が送れないことが何ら同意なく決定されているのが社会の実相である。
もちろん、バーチャルリアリティーでも中身が人間である以上は問題が消えてなくなることはない。みんなが自由で平等なパラダイスではない。
しかし実質的にはインターネットであるから、選択肢は自由かつ無限に選択することができる。
例えばYouTubeでどの動画を見るか選ぶことは無限にできるように、どのような生活をバーチャルリアリティーでするかも無限に選択できる。
「あなたはあなたらしく」と活動家は綺麗ごとを言うが、現実にはならない。ならば選択肢が無限にあるバーチャルリアリティーでこそ「私は私らしく」生きていけるのではないだろうか?
なぜ寝そべり族なのか?
現実世界ではよく、インドやチリに何かを探しに行く人の話題が出るが、バーチャルリアリティーでは際限なく遠くまで行くことができる。
ただ、結論から申し上げると、探したところで見つかるはずもない。
もし何かが見つかったという人がいれば、それはそれで大変に結構だしリアルでもうまくやっていける人だろう。しかし、そういう人ばかりではない。
リアルがうまくいってない状況でバーチャルに来ても改善することは少ない。身体がまだリアル側にあるからだ。
改善のためには一般的に心身の平和が必要とされている。しかし、そんなものがリアルにないから困ってるのである。
ゆえに、バーチャルに来て心身の平和のために寝そべりをすることは理にかなった行いなのだ。
誰が誰のために
「仮想現実なので偽物では?」という人もいるかもしれない。「気持ち悪い」という人もいるだろう。
では、誰が「本物」を我々に提供するのだろうか?ないから困っている。
仮想現実と言えども相手は人間である。感情は嘘ではない。
仮に全てがNPCのワールドだとしても、自分自身に嘘をついているわけではない。
花火をクーラーの効いた部屋からネットで見ることは道徳的にフェイクで悪なのだろうか?そんなことはない。
カニカマはカニのフェイクかもしれないが、カニカマという意味では真実である。それはカニではないかもしれないが、真実にカニカマであり美味しい。カニじゃないとか、まずいとか嘘をつく必要はない。
「私が私であることに、嘘をつかなくていい」世界は既に来ている。アフリカでもインドもなく、Amazonかヨドバシにヘッドセットを買いに行け。
おわりに
そうは言っても上手くいかないこともある。昔のポケモンの歌にもある。
そういう時が来たら、また別の記事を見てほしい。「徳の高い・寝そべり族」を目指そうではないか。