デイリー憂鬱
明日には明日の憂鬱がある
今考えた言葉だ。
昨晩の私はまったく就寝できず、結局寝ることができたのは午前5時を過ぎてからである。
憂鬱エアプの方は、憂鬱になるには“何かしらのきっかけがある”と思い込んでいがちであるが、私の場合の憂鬱とは、空腹や偏頭痛のように“当たり前の存在”としてやってくるものであり、避けられない状態異常でもある。
心が空っぽになってイライラする、という形容が一番ニュアンスを捉えている気がする。
ドラクエで呪文を使うためにMPを消費するように、人間は行動をしたり思考をするためにメンタルポイント(これもMPだな)を消費する必要があるとと私は考えており、行動を起こすためにはその行動の内容によって異なるコストを支払うのに対し、思考は思考を続けるほど毎秒〇〇ポイント消費する、といったイメージである。
そのメンタルポイントがゼロに近くなった状態。
わたしはそれに定期的になるのだ。
好きなこと、たとえばゲームをしたり、アニメを観ている時でもMPは消費され、尽きた瞬間にその行動は『無理』になってしまう。
何も身動きが取れないまま朝を迎える生活である。
わたしはこれに全人類がなると思っているのだが、違うのか?
違わないと言ってくれ
じゃないと考えたこれらが無駄になるじゃないか