「母」という、希望を持った、ひとりの人の日記
「レスポワールの植木鉢」という絵本がある。
田村セツコさんがイラストを手掛ける、優しいタッチの絵本だ。
母の日記に、イラストと一緒に、全文書き写されていた。
母は私が10歳の頃に胃がんで亡くなった。母は40歳だった。
母の父方は魚屋だったか何かで、最近はピロリ菌かな、と勝手に予想して自分も検査を受けたりしている。
私は3人兄弟の末っ子で、小児喘息と小児アトピーがあり、他の兄弟のように元気に活動できなかった。
幼稚園~小学校低学年の時は入院で何週間か園や学校を休み、定期的に明石市民病院へ通院していた。
家族で登山や海に行く際は、親戚に預けられたりしていた。
おかげで家族との思い出というものが薄い。
きっと強制的に忘れてしまったものもあるのだろうと思う。
たぶん当時は家族ともっと一緒にいたかったと思う。
そんな中でも、母との一番の思い出がある。
休みがちだった小学校の「連絡ノート」に、「魔法使いサリー」のイラストをとても上手に描いてくれたことだ。
当時クラスで、連絡ノートの裏表紙にイラストを描いたり貼ったりするのが流行っていた。
みんな思い思いに自分の好きなものを描いたりシールや切り抜きを貼ったりして華やかにデコレーションしていた。
それがキラキラして見えて、
羨ましくて、羨ましくて、
ダメって言われるか、おこられるか、わからないけれど、
とにかく、
羨ましくて、羨ましくて、
もじもじしながら母に
「ここにサリーちゃん描いてほしい」と
言った。
叶う願いかわからないけれど、言った。
クラスで流行っている、とかそういうことを言ったかどうかは覚えていない。
母が何と答えたかも覚えていない。
次の日、私の連絡ノートの裏表紙に、キラキラの「魔法使いサリー」が現れていた。
母はイラストが上手なわけではない。
(18歳の頃に日記を見て、好きだったのかもしれないとは思った)
今思えば、完全な模写だと思う。
鉛筆でとても丁寧に、丁寧に描かれていた。
当時はインターネットもない。どこからサンプルをとってきたのかもわからない。
おそらく2時間ぐらいはかかったのではないかと思う。
ちなみに「連絡ノート」は、親と先生、自分が連絡用に使う、真面目なノートだ。
まだ何もわからない子供の私が、ワガママで適当に言ったことかもしれないのに。
それにも関わらず、真剣に、かわいく、
本当に魔法のように、すてきに描いてくれた。
私は大喜びで、本当に気に入っていた。
気に入っていたどころではない。
宝物だった。
私の大切なものを、真剣に大切にしてくれた。
私の好きなものを尊重して、喜ばせようとしてくれた。
こんなに嬉しいことはない。
今思えば、今の自分がいるのは、
「魔法使いサリー(母)」のおかげなのかもしれない。
私は10歳で、たぶんとても子供だった。
母は亡くなる半年ほど前から入院していて、私はちょくちょく親戚の家に預けられていた。
ちょうど「今回のお泊まりは長いな」と思っていた頃。
「お母さんが帰ってきたよ」
親戚のおばさんがそう言った時、
なぜか信じてしまった。
前回お見舞いに行った時に、
もう抗がん剤で髪が全て抜け、話せなくて手を握るしかできなかったのに。
医療はすごくて、きっと回復したんだと思って、わくわくしてしまった。
外出を嫌がるいとこに、お気に入りのポシェットを持ってきて肩にかけてあげた。
たくさん話したいことがあって、電車の中で一番はじめはなんて言おうか考えた。
ずっと一緒に住めるのかな、月に何回か一緒に病院に行くのかな、とわくわくした。
家に着いて、
何故か着替えさせられた。
着替えるような正式な場なのかな、たしかに親戚みんないるもんね、ごはん会が先なのかな、お話できるのはいつかな、
そんなことを不思議に思っていたけれど、
一緒にいられる嬉しさが勝ってしまった。
部屋に入ると、
母は寝ていて、父や姉兄、親戚の人、まわりみんな泣いたり下を向いたりしていた。
知らない人がお経を読んでいて、
何も考えられなくなった。
座るように促され、泣いている姉と兄の横に座り、『泣いてるのか』と思った。
泣けなかった。
泣かなきゃな、とは思った。
悲しいフリをしなきゃいけないと思った。
子供が母を亡くしたんだ、と思った。
演じなければな、と思った。
演じることさえできなかった。
放心していたというか、
素だった。
理解しようとして「そうか」とだけ、思っていた気がする。
私は実感のないまま、
取り繕えず正気のように錯乱したまま、
「泣かなくてえらいね」と言われ、
違うんだよな、と、
泣く人を見て何も思えないまま、数日間を過ごした。
骨も物質で、なんだかよくわからなかった。
たぶん、喪失感もないまま、母が靄の中に消えた。
母に、ただただ自分を見て欲しかったけれど、なんか、まあ、それどころじゃなかったのだな、とわかる。
確実に自分を見てくれていた記憶が「魔法使いサリー」なんだと思う。
もしかしたらあれは、「最期のプレゼント」だったのかもしれない。
とても少なくて、強烈で大切な思い出だ。
母のことを何も知らず、18歳の頃に母の日記を見て、初めて「ひとりの人」としての母を知った。
日記は2冊あり、父との出会い、良き母としてのあり方、ひとりの人間としての母、日常の感想、様々なことが書かれていた。
初めて、優しさと勇気に溢れ、母を学び、感受性を愛する人だったのだと知った。
母のモットーは
「元気に陽気に生き生きと」だ。
日記にも書いてあった。
私も、元気に、陽気に、生き生きと、生きたい。
レスポワールの植木鉢の内容は実はうろ覚えだ。実際の本も読んだことがなくて、22年前に母の日記で読んだきりだ。
どなたかわかればコメントやメールで教えてほしい。
ただ、覚えているのは、
レスポワールはひとりぼっちでさみしい女の子だったこと。
レスポワールは植木鉢の中にお友達が眠っているからいつも大事に静かに抱えているけれど、土しか入っていないこと。
レスポワールは「こんにちは」と言えたこと。
レスポワールはフランス語で「希望」。
母の日記は、
母が亡くなって8年後にやっと、
ひとりの人間として、彼女を知ることができたものだ。
私は今も彼女に愛焦がれて、
生きる希望を唄っているのかもしれない。
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