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「都合のよさ」「情」と「一時的なその場の愉悦、快楽」を考える

「これやってくれたらうれしいなぁ」
「あなたにしかできないかも」


お願いしてもらえる、個体を必要としてもらえるのはとてもありがたいことだ。
自分の有用性に優越感も感じる。

ただ、「それだけ」で「その先」がないこともある。
冷静になると「『一時的な快楽』に似たよろこび」だったりすることがある。

「離れられないセフレ、不倫、浮気」「使い捨てアルバイトのタイムカードをきった後の時間外労働」「懇意でもないキャバ嬢・ホストに貢ぐ」「知人の知人の保険の営業」「クラファンがとれてなさそうでかわいそうだから投資」

私たちはついつい自分がこの世に必要とされていると思いたくなってしまう。もっと求められたい。あなたがいなければダメだと言われたい。

それを逆手にとったり、それを求めてくる相手すら無自覚なまま、ずるずる「都合がいい人間」になる。

「未来がある」ところであれば、それは「心証」イメージアップに繋がるだろう。
「都合がいい」という意味で。「都合がいい」は悪いわけじゃない。
私たちの身の回りのものは大体「都合がいい」から成り立っている。
主語が抜けているのがよくないのかもしれない。
「誰にとって」都合がいいか。
「自分にとって」都合がいいのかどうか。
「自分の目指す未来にとって」都合がいいのか。
「自分の一瞬の堕落にとって」都合がいいのか。

「私は人の役に立ちたいだけ」「不都合なんて何もない」と絶対的な自己満足だけで、他の何もかもを意識せず幸せになれるならもちろんそれはとても尊い、尊いことだ。全てに言えることではないけれど。

とはいえ、何らか「不都合」を感じるのであれば「都合のよさ」で自分を安売りするべきじゃない。
それは「堕落(自分の悪いところを認識する)」において、苦痛を伴うと思う。

で、さ、「一時的なその場の愉悦」を拒否して、未来に投資した(気がするでもいい)自分は褒めてあげた方がいい、と思う。
自制心って、「自分を敬うから」するものだと思う。

「怠惰」を否定するわけじゃない。
たまには惰性だって必要だ。永遠に進み続けている人なんてきっといない。
「怠惰」の「惰性」と、「堕落」の「堕ちる」は似ている気がする。

「自分の未来にとって都合がいい」
苦しみながらその選択をした、そんな自分を褒める一時的な愉悦を感じる日があったって「自分っていう大切な人にとって都合がいいじゃない?」と思う。


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やね斜裏
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