悪だと思ってたものが善だったとき
子供の頭を叩く。
むかしむかし、それは躾であり、善だった。
今の時代で考えると
それは虐待で、悪でしかない。
しかし最近、頭を叩くと血流が良くなり、脳のシナプスが活性化し、頭が良くなると聞いた。
もしかしたら、また頭を叩く=善の時代が来るかもしれない。
そして、また悪の時代に戻り、その後にまた善の時代がやってくるのかもしれない。
そう考えると、本当に全ての出来事への意味付けは無意味だなと思う。
ましてや、善だ!悪だ!と思い込んで
人と争うなんて、無意味すぎることなのかもしれない。
全ての出来事は、きっとニュートラル。
だったら、自分の心が喜ぶ意味付けをしていくしかない。
今、風邪をひいている。
辛くて、
この風邪の善の部分なんて思いつきやしないけど
きっとあるんだろうな。
失恋だって、リストラだって、そうなんだろう。
出来事の意味は、常に揺らいでいる。
可哀想な人なんて、一人もいないんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?