私的パラレル

もし、パラレルワールドというものが存在して別の世界線の私が全く違う人生を送っていたとしたら。
望まれた出産、人間関係に緩急のない学校生活、「地元」があって成人式が待ち遠しくて仕方がない私。楽だから出来れば実家から出たくないと嘆いて近くの大学を選ぶ。バイトはコンビニだったりして、夜の世界には全く縁がない。煙草は臭いから嫌い、酒豪はちょっと怖いよね(笑)なんて言ってたりして。
沢山の私が同時進行で全く違う人生を歩んでるのだとしたら。別の世界線の私が呆れるほどハッピーな人間で、大きな壁に阻まれる事なく、迫られることもなく、閉じ込められる事もなかったりして。
コンクリートを必死に指先で擦る事で抜け道を作ろうとしてる私 以外の私が居るのだとしたら。
その私 以外の為に この世界線の私 が存在しているのだとしたら。なんだか大丈夫な気がしてくる
嫌われてしまったあの娘とまだ親友で居れたら、初恋の人と結ばれていたら、あの時ちゃんと逃げ出せていれば。そんな小さいようで大きかったと後々気付かされる別れ道に結末がそれぞれあったとしたら。
そんな各道に各私が通っているのかもしれない、そう思うと報われる気がする。間違えたと、失敗したと、もう戻れないと思ったあの分岐点で別の私が今の私の代わりに、今とは別の道を進んでいるのかもしれないと。そして気づく、どこで曲がろうと正解や間違いは存在しないのだと。
私が曲がった道の結末をどう捉えるかは私自身であり、結末というのはいつまでもやってこない。だから私達は不安になるのだ。

人と比べてあまりに不公平だとか、不運だとか、生きづらいだとか納得いかない事だらけの人生で自身がどれだけ傷だらけの自分を認めてあげられるか。他人や過去に縋らずただ前に進めるか、ただそれだけである。自分を、人を、愛せるか、ただ真っ直ぐな思いで今ある道を少しずつ終わらせるしかない。ここにはもう戻って来れないから噛み締める以外にない。
同じような道を辿ってきた人が、今いる道に誰かが居たならそれは幸せなことだ。時々手を取って交わってみてもいいじゃないか、別の世界線でその人達に出会えなかった私の為にも。悔いがないようバッドライフを少しでも自分の手で変えられたなら、出会った人と花を植えれたならば。森から伐採したどデカいクリスマスツリーをみんなで道中に飾ってもいいだろう。側から見ればこの道はもう酷道ではない、娯楽だらけの安全対策が取られたイージーな道に見えるかもしれない。そうすれば人が寄り集まる、うざったく思い突き飛ばすのもいいだろう、きっと違う世界線の私がその人達を大事に大事に自分の道に案内してくれているだろうから。
間違いなんてものはないよ、私は私らしく君は君らしく今の次元の自分を誇って進めばいい、それで時々何かを大切に思えたらいい。そうすれば早かれ遅かれどこかで自分は間違っていなかったと思える日が来るよ。今はそう思うしかないんだ。そう信じて今日もなんとか

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