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note毎日投稿にこだわるのをやめてみた

一ノ瀬スイです。

実はnoteを毎日投稿することを目標としていましたが、自分の心境の変化で毎日投稿をやめてみました。


自分と対話するためのnoteだったはずなのに

もともと自分と対話するためにnoteをはじめたはずなのに、毎日投稿にこだわった結果「もう23時じゃん!」と時間に追われ、自分の心の中との対話がうまくできなくなってしまいました。


「私って何者なんだろう?」という自分の核と向き合った結果、

「アロマアセクにあてはまる部分もあるけど違う部分もある、ノンバイナリーっぽいかもと思ったけどたぶん違うかも、よくわかんない」という結果になりました。

自分のことを知りたくてnoteをはじめたのに、「ここもっと掘り下げたいのに時間ないなあ…」と葛藤してしまうことが増えてしまいました。


でも対話する時間がない!となって先延ばしにしてたら、自分の内面の理解にはつながらないのかも、と感じ始めたんです。

数日かけてもいいから、自分の心の内をとことん掘り下げた方がいいのかな…と思ってたけど、趣味話とかするのも楽しいしこのままでもいいのかなー。


あとは1年後、2年後に自分が記事を読み返して「去年の私はこんなこと考えてたんだなー」と懐かしむ目的でもnoteを書きたいと思っています。

今までは紙の手帳にひとことメモを書いてたけれど、ひとことじゃ足りないこともあるしなあ。


アロマアセクを証明するための作業をやめてみた

「自分はアロマアセクなのか?」と悩んでいたことについては、

「アロマアセクっぽいところもあるし、アロマアセクじゃないところもある。よくわからないから枠に当てはめるのはやめよう」という結論に至りました。


視力とか聴力とかは数値ではっきりと結果が出てくるし、視力が0.6以下だったら0.6以上になれるように矯正しないと車を運転してはいけない、みたいな明確な基準がある。

でも心の中のことは本人にもわからないし、目に見えるような基準はなんにもないから線引きが難しいんですよね。


ミステリーや刑事ドラマでいう「アリバイがないことを証明する」のは「悪魔の証明」になってしまうんですけど、

たとえば「死亡推定時刻に現場から2駅離れた場所の防犯カメラに容疑者の姿が写っていた」という事実が見つかれば、その人は犯行が不可能な状況にあったからアリバイがあることになります。


そういう感じで「恋愛ができない」ことを証明するのではなく、「アロマアセクの方の発信に共感できる部分があった」という部分から自認のきっかけにしてもいいのかな、と思っています。


自分が生きやすいのが一番

大事なことは、自分が本当にその性自認・性指向があるのかを証明することじゃなくて、自分の心を殺さずに穏やかに生きられる道を見出すこと。

  • 「恋をしない選択肢がある」

  • 「アロマンティックアセクシャルという立派な名前がある」

  • 「友情結婚という選択肢がある」

ということをまず知って、知ったうえで両方の選択肢を試してみてどっちが自分にとってしっくりくるかを模索し続けるのが大事なんだなと私は思っています。

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