20210901 九月度一日祭と月次祭
8月29日(日)午前二時過ぎ。
目を瞑っていると、小さな青白い光が現れ、火花を散らしながら右回りに一回転して消える。
それが数回続く。
数回続くと、後半は光が大きくなっていった。
同日、午後七時過ぎ。
疲れていたので横になり目を瞑ると、黄金色の光が左から右へ移動すると、緑色の光に包まれながら消える。
それが2~3回続いた。
8月30日(月)は別投稿済だが、メッセージを頂いた。
(https://note.com/sui3310/n/n07f319010f7a)
8月31日(火)、9月度一日祭と月次祭の式次第について思うところがあり、当月から以下の文言で作成した。
「本祭典は、神幽現三界で働かせて頂くための御力を賜る祭典です。毎月の元旦とも言うべき一日に、主神様へ全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ奉り、大彌勒様でもあられるメシヤ様から地上天国建設の御力を賜わることを念じ奉り、前月度の奉告を申し上げて感謝のお祈りを捧げ、当月度の御守護願いをさせて頂く御祭りです。
そして、祭典時の御神名は
「主之大御神」様
「大彌勒大御神」様
「大メシヤ大御神」様と、奉誦させて頂きます。
また、御浄霊は集団浄霊とさせて頂きます。」
御許し頂くために、式次第は御神前にお供えさせて頂いた。
9月1日(水)、一日祭と月次祭を執り行わせて頂いた。
集団浄霊時、最後に誰も居ない(見える人がいないという意味)下座を浄霊させて頂くと、一番手に、腕に堪えた。見えない方々がいらっしゃる。メシヤ様の光を頂きに来られている。そう感じずにはいられなかったと同時に、集団浄霊を許され、また新たな御神業が許され、神幽現三界で働かせて頂ける喜びと、もっと早く気づけなかった申し訳なさと、いろいろな感情が込み上げてきた。
以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
有限力と無限力(年代不詳)
単に力といっても、有限力と無限力の区別のある事を知らなければならないのである。処が今日の人間は力とさえいえば、有限力と思っている。尤(もっと)も唯物文化社会としたら、それも無理はないが、此考え方の為人間は本当の事を知らないで、有限力のみを信じ行動するので、失敗者が多いのである。有限力とは誰も知る如く色々あるが、野蛮時代は腕力が主となっていた。つまり人力である。その後進化するに従って智力が発達し、権力が生まれ、次で政治力、圧力、戦力、金力、経済力、学力、馬力、機械力、 破壊力、思考力、筆力、宣伝力というように、漸次発達したが、その時代時代に応じて強く働く場合もあり、弱く働く場合もあるのは勿論である。例えば野蛮時代に於ける暴力、権力、支配力等それである。
之に就いて重要な事は、以上かいただけの力は、悉(ことごと)く有限力である事であるから、絶対性はないのは勿論である。その何よりの証拠は、一時は絶対と思われる程の力も、時の力によって、ひとたまりもなく破壊されて了う。昔からの失敗者の例をみても分る通りである。それに引換え無限力である此力こそ絶対にして永遠であり、之に抗する何物もないのである。処が有限力は目に見え、手に触るる事も出来るが、無限力は無に等しいものであるから、人間には有るを信じられないのである。その結果有限力のみを力として信じて出来たのが今日の世界である。之を最も分り易くいえば、有限力とは人間が作る力であり、無限力とは神が行使する力であると思えばいい。
之に就いて最も手近な例をかいてみよう。それは本教の浄霊法である。医学の方では薬剤や機械等、目に見えるものを使うので、人は之で治るべきものと思うが、浄霊は空間へ手を翳(かざ)すだけなので、初めての人など之で治るなどとは、どうしても信じられない。併し結果は医学よりも比較にならない程よく分るので、何程考えても分らない。只不思議と言うのみである。というのは有限力は知っているが、無限力は知らないからで無理もないが、此真相が分れば不思議でも何でもない、当然な話である。つまり一口にいえば医学は人間力、浄霊は神力である事が、実にハッキリしているのである。
以上がメシヤ様の御教えです。
有限力は、その時その時で働きの強弱があり、限り有る力。
無限力は、絶対にして永遠であり、神が行使する力。
浄霊は、神が行使する力を私たち人間の体を通して手を翳すだけで治る。
メシヤ様と直に太く繋がり、想念がしっかりしていれば、宗教宗派を超えて、誰でも手を翳せるのです。
自分自身も浄化できるのです。
愛と慈悲で、一人でも多くメシヤ様に繋がれることが許されますよう、お祈り致します。
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