仏滅と五六七(みろく)の世
1931年(昭和6年)、鋸山での夜中転換神事より90年目の節目の佳き日に、2021年(令和3年)6月15日の地上天国祭を同じ場所にて、なぜ12時に許されたのか。
(https://note.com/sui3310/n/n671f6f71cfd5)
やっと気づかせて頂きました。
以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
文明の創造(昭和二十七年)
仏滅と五六七(みろく)の世
其(その)後釈尊は素晴しい予言をされた。それは今より数えて五十六億七千万年後、仏滅の世となり、次いで彌勒菩薩下生され、彌勒の世を造り給ふ。彌勒の世といふのは、居ながらにして千里の先まで身を運ばれ、居ながらにして千里の先の声を聴き、居ながらにして千里の先から欲するものが得られるといふので、其(その)頃としては想像もつかない夢の世界である。処が現在の世界は最早(もはや)右の予言通りになって来てゐるではないか。としたら物質的には已に彌勒の世となってゐるのである。処で今迄仏者が迷ったのは、此(この)五十六億七千万年といふ数字であった。然し之は一寸(ちょっと)考へただけでも直(す)ぐ判る筈(はず)である。何となれば如何(いか)に釈尊と雖(いえど)も現実的に、五十六億七千万年などといふ、途方もない先の世の中を、予言される訳はないからである。それ程先の世の中を予言したとて、何の役にも立たないではないか。言う迄もなく、それ迄に地球はどうなるか、テンデ見当もつかないであらう。之は全く五、六、七といふ数字を知らせんが為である。といふのは彌勒の世とは、私のいふ五六七の世界であって、此(この)五六七を解釈すれば、五は日であり、六は月であり、七は地の意味になるからで、即ち順序正しい世界といふ事である。之に就(つい)て一層深い意味をかいてみよう。
今迄夜の世界といふのは、日が天に昇っていなかった時の事である。勿論霊界の事象ではあるが、之を小さく地球に譬(たと)えてみればよく分る。夜は月が上天にあって照らしてゐたが、段々地球を一周して、西の涯から下って地球の蔭に隠れる。すると太陽が東から昇って、中天に輝くとすれば、之が昼間の世界である。そうなれば天は火であり、中界は水素の世界で水であり、地は依然として地であるから、之が五六七の順序である。右を一言にしていえば、昼の世界とは、今迄見えなかった日が、中天に輝く姿で、それが五六七の世である。
又釈尊は或(ある)日弟子から、仏教の真髄を訊(き)かれた事があった。世尊は『左様一言にしていえば、真如(しんにょ)である』と仰せられた。真如(しんにょ)とは無論真如(しんにょ)の月の事で、其(その)時既に仏法は月の教である事を示されたのである。そうして真如(しんにょ)といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此(この)点もよく考へなくてはならない。それから仏典では、実相真如(しんにょ)と言われてゐるが、之は逆である。何となれば実相とは、真実といふ意味で、即ち昼の世界である。真如(しんにょ)は夜の世界であるから順序からいって真如(しんにょ)が先で実相世界は次に生れるのである。今一つ同じやうな事がある。それは経文(きょうもん)には三千大千世界とあるが、之も逆であるから、私の善言讃詞の中には大千三千世界と直してある。といふのは三千世界とは、神幽現の三界であるに対し、之を纏(まと)めて一つにすれば大千世界となる。大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給ふ意味である。
次に釈尊は斯(こ)ういう事も曰(い)はれた。此世は厭離穢土(おんりえど)であり、火宅であり、苦の娑婆(しゃば)でもある。又生病老死の四苦があるとも云(い)はれ、諸行無常、諸悪滅法などとも言はれたので、どれもこれも世を果敢(はか)なんだ言葉である。又一切空とか空々寂々(くうくうじゃくじゃく)とか、無だとも言はれた。そこで右の意味を総括してみると、どうせ此(この)世は苦の娑婆(しゃば)だから、苦は脱(のが)れられない。人間は生れながらにして、苦しみを背負ってゐるのだ。いくら藻掻(もが)いたとて仕方がないから覚るのが肝腎だ、つまり諦(あきら)めである。人間が如何(いか)に大きな望みを抱いたとて無駄であり、一寸(ちょっと)先も分らぬ闇の世であるから、安心など出来よう筈(はず)がない。そうして此(この)世は仮の娑婆(しゃば)だから、いくら骨折って造ったものでも結局は無になり、空になって了(しま)ふので、何事も永遠性はない。だから一切の欲望は結局一時的煩悩(ぼんのう)にしか過ぎないのだから、諦(あきら)める事だ。諦(あきら)め切って了(しま)へば、 真の安心立命を得られるのだと説かれたのであって、之が仏教の真髄であるとしたら全く夜の世界の姿をよく物語ってゐる。此(この)意味に於て万事は昼の世界迄の運命でしかない事を、遺憾なく示されてゐる。従って人間は実相世界が来るまで待つより仕方ない事で、それが今日迄の賢明な考え方であったのである。
以上がメシヤ様の御教えです。
今迄見えなかった日が、中天に輝く姿で、それが五六七の世である。
このお言葉が何を意味しているか、それぞれよく考え行動しなければなりません。
すでに始まり、現実世界に如実に現れています。
一人でも多くメシヤ様へ繋がりますよう、
本来の人間でいられますよう(異物を体に入れないこと)、
そして、神性を蘇らせられますよう、心よりお祈り申し上げます。
#五六七の世はみろくの世と読む
#メシヤ様と直に太く繋がる
#惟神精神