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20210511 大神神社

【2021年(令和三年)5月11日(火) 大神神社御参拝】
 
今年に入って、持っていた本(https://www.amazon.co.jp/いちばんやさしい古事記の本-沢辺-有司/dp/4801301207)を久しぶりに手にすると、一番最後に掲載されていた神社が大神神社だった。

そこには、本居宣長氏の名前もあり、大神を『おおみわ』と呼ぶ理由について、「かつて大和に都があったころ、大神といえば三輪の神といわれるほど崇められていたから」という分析をしているとのこと。

神社についての掲載文を読み進めるほど動悸が激しくなり、涙がこぼれ出したことを憶えている。
そして、大神神社(三輪山)が大彌勒大御神様に繋がる様に思わせられたのだ。
 
友人に大神神社の話をすると、その友人はすでに人生の節目に3回程御参拝しているとのことで、とても驚いた。
 
法隆寺へ御参拝をさせて頂くと決めた時に、思案した結果、大神神社へ御参拝を決めた。
 
大神神社は三輪山自体が御神体である。
広範囲に多くの神社が在り、色々調べていると、登拝することができるとのこと。
ならば、登拝だけに絞り、山頂で祝詞奏上をさせて頂こうと考えていた。
 
旅立つ2週間前ぐらいだっただろうか、大神神社のHPで自分が登拝予定だった日が登拝禁止となってしまった。
 
登拝が許されなかったのだろうか、いや、他に御参拝しなければならない所があるということでは?とも思い、予定を組み直した。
 
法隆寺の御参拝後、三輪駅まで移動し旅館へ。
 
その旅館は大神神社御用達となっている。
館主も大神神社についてとても詳しい方だった。
 
館主との会話の中で、登拝ができなくなってしまった旨を伝えると、登拝したような感覚になる所があるとのことで、磐座を二カ所、教えて頂いた。

翌日、まずは大神神社の拝殿へ向かうが、その前に祓戸神社へ御参拝させて頂いた。
祭神は瀬織津姫神、早秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神の四柱。
御挨拶申し上げる途中から涙が込み上げてきた。
四柱の神様にはいつも申し訳なさと感謝でいっぱいだ。
 
次に拝殿へ向かう。
まだ数日しか経っていないのに、祝詞奏上をさせて頂いたのか、それともご挨拶だけだったのか思い出せない。そして特に感じることはなかった。

次は狭井神社へ向かう。


正式名称は「狭井坐大神荒魂神社」(狭井神社)とのこと。
天津祝詞・善言讃詞を奏上させて頂いた。
狭井坐大神荒魂神社はとても気持ちよかった。
「狭井」とは神聖な井戸・泉・水源を意味するとのこと。
 
次は市杵島姫神社へ。
狭井坐大神荒魂神社へ向かう途中にある神社。
一人、長く御参拝している姿が目に焼き付いていたので、狭井坐大神荒魂神社へ御参拝した後に訪れた。
掲示板を目にすると、どんどん感謝の気持ちが込み上げてきた。
すぐに天津祝詞、善言讃詞を涙ながら奏上させて頂いた。
以下の写真は市杵島姫神社のすぐ近くの苔。

掲示板を撮影しなかったことが悔やまれると共に、宗像大社へも御参拝しなければ、という気持ちも生まれた。
 
次は、館主に教えて頂いた一つ目の磐座へ。

磐座へ向かう途中の道路脇に、地蔵菩薩様、菊龍大神様(祠の中に二匹の白蛇が絡み合っている。向かって右の白蛇は巻物を口に加え、左の白蛇は口を閉じている。阿吽を表しているようにも見える。)、不動明王様が祀られていた。
特に、菊龍大神様に反応し、御前で涙を流しながらご挨拶させて頂いた。
菊理媛に繋がる様な気がしてならなかった。
 
足を進め、一つ目の磐座に到着すると、すでに一人居たが、御参拝は終わっていたようなので、磐座の御前にて天津祝詞、善言讃詞を涙ながら奏上させて頂いた。
 
祝詞奏上後、すぐに立ち去ろうとしたが、その様子を見ていた方がお声かけくださり、少しお話することができた。
その方は毎月、この磐座に御参拝しているとのこと。
大分県から訪れたことを告げると、とても喜んでくださった。
もう一つの磐座へ違うルートで連れて行ってくださることになった。
館主から教えて頂いたルートはお稲荷様のすぐ側を通らなければならなかったので、少し躊躇していた。
その方もお稲荷様が苦手の様で、そこを通らなくてよいルートがあるとのこと。
これも神様の御計らいなのだと思うと、ただただ感謝であった。
 
二つ目の磐座は、目にした途端、寝そべりたい衝動にかられるぐらい大きく心地良い感じが伝わる磐座だった。
祝詞奏上もさせて頂いたが、一つ目の磐座と比べると、特に涙することもなかった。
 
上記、二つの磐座については撮影するのを躊躇した。
館主の訪問レポートに写真も掲載されているので、そちらをご参照頂きたい。
(山ノ神祭祀遺跡の磐座見学→ https://narayado.info/oomiwa/yamanogami-iwakura.html)
 
次は大直禰子神社、玉列神社へと考えていたが、館主と、磐座へご案内してくださった方から檜原神社へ御参拝を促されているような会話が気になり、玉列神社とは反対方向の檜原神社へ向かった。

途中、お社があり、惹かれるように階段を上る。

祝詞奏上をさせて頂いたかどうかは思い出せない。
お社の少し離れた右隣に磐座があった。

淤加美神(古事記での表記、日本書紀では「龗神」)を調べると、日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとのこと。
「龗」は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神となれば、惹かれたのも納得だった。 
 
檜原神社へ到着し掲示板を目にすると、元伊勢とのこと。
驚きを隠せなかったと共に、ここへ御参拝しなければならなかったのだ、と強く思った。

天照大御神様の御前で確か祝詞奏上をさせて頂いたと思う。
ただただ涙がこぼれたのは憶えている。
 
豊鍬入姫命様の御前ではご挨拶をさせて頂いたと思う。
こちらでも少し感極まったのを憶えている。
 
最後は大直禰子神社へ向かっていたが、途中で神御前神社の前を通り、やはり気になり、ご挨拶だけさせて頂いたと思う。

御祭神は倭迹迹日百襲姫命様
ここから仰ぎ見る三輪山はまた、格別であった。

大直禰子神社に到着し、天津祝詞、善言讃詞を奏上させて頂いたが、特に感じることはなかった。
ただ、献木はどこか気になり撮影した。

今回の御参拝で気になる点を纏めてみる。
 
市杵島姫様は、宗像三女神の一柱であり、水の神。
「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祀るという意味があるとのこと。
 
豊鍬入姫命様は、第10代崇神天皇の皇女で、天照大神様の宮外奉斎の伝承で知られる巫女
的存在とのこと。
 
倭迹迹日百襲姫命様は、第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳伝承で知られる、巫女的存在とのこと。
 
大直禰子命様は、三輪山の神である大物主神、または事代主神の子孫または子。
崇神天皇8年12月に天皇は、大直禰子に「大神」(おおみわのかみ)を祀らせたとのこと。
 
私の許されながら進ませて頂く使命は、因縁のある神社やお寺に赴き、想念と言霊を以て神様仏様の夜昼転換をお願い申し上げ、メシヤ様のもとで御働き頂き、世界メシヤ教を拡げる(メシヤ様と人間個人の霊線が直に太く繋がること)ためにお力添え頂けるようにお願い申し上げること。
 
今回の御参拝で、許されながら進ませて頂く使命=御神業をまた、改めて考えさせられるものとなった。
 
大彌勒様でもあられるメシヤ様へ素直に惟神の精神で、神幽現三界で御神業を許されながら、更に進ませて頂く。
 
#御神業
#惟神精神
 

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