神龍
2021年12月18日(土曜日、一粒万倍日、神吉日)
一粒万倍日:一粒のモミが万倍にも実る稲穂になるという意味。何かを始めるのはとても良い日。
神吉日:神吉日は神事に関することは吉とされる日。神社の参拝や祖先を祀ることなどは吉。
御縁でメシヤ様直筆の緯御書『神龍』をお迎えすることが許されました。
引首印:光明
落款印:彌勒神政、天昭地明
16日~17日は雨風雪晴と目まぐるしく、これも祓戸大神様方が龍神様を御使いになり祓い清めてくださったのだろうと思うと感謝しかありません。
御書はある方から母に連絡が入り、お迎えしたい気持ちはありましたが金銭的に余裕がありませんでした。でもすぐに御神前へお願いに上がりました。
「ご縁がありましたらぜひ『神龍』をお迎えできますようによろしくお願い致します」と。
その数日後に事は佳き方向へ進み、お話を頂いてからわずか10日後にはお許し頂ける運びとなりました。
お迎えできることがわかった時、すぐに御神前へ感謝奉告申し上げ、あまりの感動に1時間ほど泪が止まらず、自己浄霊を頂きました。
今年の神社・寺院御参拝(2021神社・寺院御参拝→ https://note.com/sui3310/m/m7e4800b9b471)を振り返ります。
3月:京都の熊野神社、聖護院、法住寺、三十三間堂
5月:法隆寺、大神神社、
6月:玉姫稲荷神社、日枝神社、氷川神社
7月:玉置神社、法住寺、三十三間堂、大分の日吉神社(note未投稿)
10月:箱根元宮、法住寺、三十三間堂
11月:幣立神宮、上色見熊野座神社
それぞれ読み返してみると、蛇、龍神、水神様系統の御働きを感じながらの御参拝に改めて驚きと共に『神龍』の緯御書に繋がりを感じました。
以下にメシヤ様の御教えを2つ掲載致します。
まず1つめ。
『光明世界』三号、昭和十年五月二十一日
金龍物語(口絵霊写真の解説)・・・本投稿には写真未掲載とさせて頂きます。
此霊写真にある龍体は、余の守護神であって、特に神秘な謂(いわ)れがあるから、詳説しようと思う。時は、昭和四年四月二十一日、春波穏かに、夢の如く、霞立罩(たちこ)めたる、近江の国琵琶湖の湖上、須臾(しゅゆ)にして、時ならぬ一陣の突風、吹くよと見る間に、一大暴風雨と化し、哀れ、遁(に)ぐるに間とてなき、四十数隻の漁船は、転覆したのである(其事実は、当時の各新聞紙に掲載された)。
茲(ここ)に、今より三千余年以前、天(あめ)の安河原(やすがわら)の誓約(うけい)に依て生れ給いし、五男三女の天津神が、或事情の為、隠れ身の止む無きに立至り、弥勒神政迄を限りとし、各々、龍体となって、日本を中心に、各方面の海洋湖水等に身を潜め、時を待ち給い居たのである。彼の釈尊が八大龍王を封じ込めたりと言う伝説は、斯事(そのこと)に外ならないのである。
然るに、八大龍王の上に、一の主龍神が被在(あら)れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給い、八大龍王と倶(とも)に、時を待たれ給いたのである。
茲に、愈々(いよいよ)、天の時来りしを以て、湖水を後に、天空に向って一大飛躍をせんとしたのである。然るに、一方、邪神の頭目として永く露西亜(ロシア)の死海を本拠として、常に、世界人類へ対(むか)って、悪の活動を続けていたる、一大赤龍があった。其大赤龍が、突如として、昇天せんとする、大金龍あるを識(し)るや否や、大いに驚き、急遽、翔馳(しょうち)し来り、是(これ)を妨圧せんとし、茲に、神龍、悪龍の一大戦闘は開始されたのである。然(しか)し乍(なが)ら、予期しなかった金龍の金剛力に、到底敵すべくもないのを知って、遂に惨敗した赤龍は、遠く本拠へ向って遁走し、爰(ここ)に此時の戦闘は終りを告げたのである。
此戦いが、大暴風雨の原因であったのである。
越えて、翌一ヶ月後の五月二十日、当時、大森旧八景園に、在住し居たる、余が住宅の上空に、一時間余に渉り暴風雨、雷鳴があった。這は、曩(さき)の金龍が、余の守護神たらんとして来たのであって、此、雷鳴暴風は、余の居所の上空の邪気を浄化する為の活動に、外ならなかったのである。因(ちな)みに、旧約全書にある赤い辰(たつ)即ちサタンは、前記の赤龍の事にして寓意的に書かれたる旧約全書の予言が、実に偉大なる記録であり、全く神の啓示である事を知って余は驚いたのである。
其後、三年を経た、昭和七年春、前記の赤龍が、或人間に憑依し、余に対し、戦いを挑み一大攻撃を加え来ったのであるが、此時も、金龍の守護活動に依って、勝利を博し、事無きを得たのである。そうして、頗(すこぶ)る執拗なのがサタンの特性であって、其後に至っても、次々、種々なる人間に憑依し、凡(あら)ゆる手段を尽して、余の活動を妨害せんとし、常に金龍と対戦しつつあるのである。近くは昨年の秋も、或人々に憑依して、余を攻撃したのであるが、一時は余の敗北と観られたが、実は結果に於て、一大勝利を博し、反(かえ)って、此時の赤龍の活動が、観音運動の促進に、与(あずか)って力あったという、洵に、皮肉な結果に畢(おわ)ったのである。実に、大神の経綸こそは、人智を以て忖(はか)られざる、幽玄微妙なる事を熟々(つくづく)感じた事である。然(しか)し、神と悪魔の戦いは、今後も持続し、両雄千変万化の智謀を揮(ふる)い、策戦を練るべく、一面興味ある神劇とも言うべきであって、そのスケールも、漸次、大となるべき事は今より想察し得らるるのである。
写真の龍体が、全身一定の太さを保っているのは、不思議に余も思ったのであるが、啓示に依れば、神龍は右の姿が本当であって、其大きさも数尺に過ぎない様であるが、霊界に於ては、あらゆる霊は伸縮自在であり、特に龍体に於ては、何万尺の巨龍も僅々(きんきん)数尺になるのであるから、右金龍も如何に巨大な御姿なるかは、想像を絶するものありと思うのである。次に又現存せる大蛇の類は、悪に属せし結果、長年月に渉(わた)り、種々の生物を呑嚥(どんえん)する為、口は裂け、顎部(がくぶ)突出で、腹部は膨脹して、今日見るが如き、 醜悪な姿となったのであるという事である。
2つめ。
『御教え集』二一号、昭和二八年五月一五日
四月一六日
今度京都、奈良のほうのお寺まわりをやりましたが、実に各寺が疲弊しきっているのです。このままで行ったらたいていな寺はつぶれてしまうだろうと思います。それで京都、奈良が仏教の本元ですから、本元がつぶれようとしているのですから、まったく仏滅の状態がよく現われてます。本元のインドは仏教信者がだいたい三〇万くらいですから、人口が三億五〇〇〇万としてそのうちの三〇万とすると問題にはなりません。それから中国は中国でほとんど仏教はないと言ってよいくらいです。わずかに日本だけに残っているのです。それで日本の中心である京都、奈良がいまのような状態ですから、いよいよ仏滅は、いまやほとんど灯(ひ)が消えかからんとしている有様です。そこで京都別院を造るということも、その一部として仏教を救うという意味もあるのです。そういうようであっちのお寺などは仏像や仏画を売らなくてはやっていけないのです。それで本尊様だけはそんなことはないと思ったところが、本尊様を売りたいと言って申し込んできてます。
昔からある上人、大師、禅師という高僧の霊は、これは『地上天国』の多賀夫人の霊憑りにもあるとおり、そういう偉い坊さんたちが霊界で非常にあせっているのです。というのは、霊界がだんだん明るくなるにつれて、仏滅ということがよく分かってきたのです。だいたい仏というものは、みんな神様の化身です。これはお釈迦さんが、仏滅の世の間は神様では駄目だから、隠退して時を待つか、さもなければ仏になって働けということを言われているのです。そこで日本の八人男女(やたりおとめ)という五男三女は、仏になるのは嫌だというので、それでは龍神になって時を待てというので、八大龍王となって時を待ったのです。それでお釈迦さんから名前をもらって、それでお釈迦さんに封じ込められたということになってます。インド名ですから、なかなか妙な名前で覚え難いのです。その龍神たちは日本の周囲の海に隠れて、というよりか、そこに約三〇〇〇年の間住んでおられたのです。それでいよいよ仏滅になって、今度は神様になる、つまり元の身分になるわけです。それともう一つは、いま言った仏様として働いた神様、そういう仏たちが早く神様になりたい、そうして京都のいろんな仏像や仏画が自分たちの居所になるわけです。それに憑っているわけです。それでいままで拝みに来る人などを守護していたのです。しかし守護していたといっても、仏の力というものは月の光で薄いから、御利益を多くは与えられないのです。どうしても太陽の神様の光でなければならないのです。それで太陽の光というのは、神様になってその働きをするわけです。ですから仏が神様になるというのは、いまなのです。それで八大龍王の一番の神様が伊都能売神龍(いづのめしんりゅう)です。これが近江の琵琶湖に隠れていたのです。それでほかの龍神はほうぼうの陸地に近い湾のような所・・・越後と佐渡の間の海にもいましたし、駿河湾、伊勢湾という所にもいて、そうしてまたその間、日本を守っていた点もあるのです。そういうようなわけだったのです。
京都の平安郷に美術館を造り、殿堂も造りますが、そこで仏滅となり仏たちを救い、救うということは浄めるのです。仏の働きというのは神様の働きと違い、非常に間違ったこともやったのです。しかしこれは間違ったことをやらないわけにはゆかない点も大いにあったのです。そのために非常に穢れているので、それを浄めなければならないのです。浄めて初めて神様の資格になるわけです。それで平安郷でそういった仏様をみんな浄めるのです。そうして神様に戻るわけです。そういう意味があるのです。それで今度お寺をずっとまわったということは、主なるそういった仏様に、いよいよ君たちは救われるという警告をすると言いますか、そういう意味になるのです。ですから神様の経綸というものは、いろいろなことの、二つも三つもの経綸になるのです。そうしてそういった仏の霊が教われて神様になって、そうしてその仏像や仏画はカラッポになりますから、そこで美術品として美術館に並べて見せるということになるのです。そうでないと中に魂が宿っているときにそうされると、仏様は非常に苦しいのです。つまり美術品扱いをされるということは非常な侮辱をされるわけです。ですから嘘なわけです。よく仏像を集めたり家に置いたりすると、なにか災いがあると言って恐れる人があります。その一つとして大阪の白鶴美術館ですが、今度私は行きま したが、あそこは非常に良い物があるが、仏に関した物が一つもないのです。あれだけ良い物を集めたのですから、仏に関した物があっても良さそうなものですが、一つもないのです。聞いてみると、仏には絶対に手を出さないという理由なのだそうです。そういうためもあるでしょうが、あそこの主人公は非常に長生きして、九二で亡くなってます。だからそういう考え方も間違ってはいなかったのです。
そういった仏像という物は、良い仏像ほど良い仏様が憑っているわけです。そこで私が去年手に入れた観音様ですが、今度も奈良の木彫の良い仏像を見ましたが、それは法隆寺にあるのよりずっと上です。ですからこれは持ち主が放すわけはないのです。その仏像を置いてある所の二階が土蔵になっていて、そこで踏まれる形になるので、苦しくてしょうがないというのです。それは木彫では世界一でしょう。木は白檀で虫がつかないのです。天平時代にできたのですから、千二、三百年たっているが、一つも毀(きず)ついた所がなく実にきれいです。都合によったら今度出しますが、今度出なかったら、いずれ熱海のときの美術館に出します。それは実にたいしたものです。というのは、そういう仏像には良い仏様の霊がついているから、早く私の所に来たくてしょうがないので、親父さんを動かしたのです。それは前から知っている人でなく、初めて知った人です。ところがどうしても私の所に売りたいというのです。自分はときどき見なければ気が収まらないが、美術館なら見たいときに見せてもらえるからと言ってました。ずいぶん高い値段でしたが、実際の価値から言うと安いです。そういうようで、結局仏様は私のほうに来たくてしょうがないから、順繰りにそういう物が来るのです。まだ申し込みがずいぶんありますが、私のほうでも金のほうがなかなかそうはゆかないから延ばしているのです。今度の京都行きの意味はそういうわけなのです。(後略)
以上がメシヤ様の御教えです。
事あるごとに、京都平安郷へ御参拝しなければならなくなる気持ちが上記御教えにありました。
我と執着を出さず、惟神精神で進ませて頂きます。
・・・この投稿をする直前に、お知らせ頂いたこと。
母に御書の連絡をしてくれたある方は、当時、滋賀県に居たということを記しておきます。
神様は全て型で示されることを、改めて感謝と共に受け止めました。
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