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劇場版『美しい彼』について今更気づいたこと(ネタバレ)

劇場版美しい彼は汚水に流されてきたアヒルのおもちゃが大海に出る時の動揺と葛藤を描いているのだなと今更気がついた。
本当に好きな作品に出会うと好きすぎて作品の本質をいつも見逃す…助けて……

S1で平良は清居との出会いによって汚水の流れに逆らうことができるようになった。だとすればS2ははるか高みを自分の力で泳いでいる清居に少しでも近づきたい、という願望を認められるまでの物語だろう。
そして劇場版は自分が目指す大海の大きさを現実として知り、自分の小ささを知り、その上で1歩を踏み出すまでの物語だ。
野村伊兵衛賞と野口さんは平良が目指そうとしている世界の象徴的な役割を果たしている。

劇中で野村伊兵衛賞を目指していることを言うとみんな笑って冗談でしょ?という顔をする。プロにもなっていない大学生が何を言っているんだと。
間近でみる野口さんの仕事ぶりは凄まじい。
こんな自分が清居をプロの世界で撮りたいなんて思っていいのか、という問いはそのまま、こんな自分が清居の隣にいていいのか、という問いに繋がる。仕事でも恋愛でもこんな自分が目指していいのか、望んでいいのかという問いに悩まされるわけだ。
理性は「目指していいわけない、側にいていいわけない」と言うが、それでも諦めきれない。
自意識の肥大化。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
彼の問題点は自分の欲を卑下の殻で覆って無かったことにして、スタートラインにすら立とうとしないことだ。

そんな彼がようやくスタートラインに立つシーンが、平良が清居を撮るあのシーンだろう。先の見えない、失敗するかもしれない目標に向かって現実的に努力し続けるというのは相当の覚悟がいる。平良は劇場版でその覚悟を清居の「撮れよ」の一声で決めた。いつだって平良を突き動かすのは清居なのだ。

私が自分の好きに惑わされてこのテーマを認識していなかったのには少し理由がある。平良一成はここまで語ったことの全ての動機やきっかけが清居奏に由来しているのだ。この映画は平良の成長の裏表に恋愛がある。流れに逆らえたのも、大海に飛び出したいと思ったのも、海の大きさにビビったのも、自分の小ささに苦しんだのも、最後覚悟を決めれたのも全部全部その中心には清居がいるのだ。そりゃ恋愛の方に気を取られちゃうよ、腐女子だもの。
映画を初めてみた時はただただ悶えていたし2回目3回目で成長物語ぽいけどどこが成長してるんだろうとなって4回目でようやく気づいた。こんな鈍感な私をどうか赦して…



乱雑な走り書き失礼。
この映画は私が思うより複雑で、語りたい箇所が沢山ある。楽しいね。
みんなは舞台挨拶観た?私は動画で見たけど、最後手を掴んで走り去る場面が映画のワンシーンみたいで凄かったね。
ギャラクシー賞受賞おめでとう。平良と清居と美しい彼に関わった全ての人々に幸多からんことを。

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