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始まりの丘 No.3【小説】

 そもそも、携挙なんてものが、本当に起こるのかどうかなんて怪しいところである。

 しかし、すべてのクリスチャンは、このことに希望を置いている。

 救われる日を待ち望んでいるのだ。聖書において預言というものは絶対で、必ず成就されなければならないものだからだ。

 主イエス・キリストの復活を待っているという訳である。

 だが、どの様にして来るのか? あるいはどの様な方法で? これは専門家でも分析するのが難しいところで、解釈できた者はいない。だから、それを僕が解き明かそうと言うのである。

 ワームホールがどこかにある。僕らの研究会はそれを探しているのだ。

 復活の日まではそれほど時間は掛からないだろう。なぜなら世の患難期が近づいているというクリスチャンが、非常に多くなって来ているからだ。その人たちが言うのだから間違いない。僕はそれに合わせて、携挙の研究をしていると言う訳である。

 研究会を終えた僕たちは、また来週にサークルで集まることになった。その日までに新しい研究をしなければとは思うものの、中々思う様にはいかない。

 この後の予定がなかったので、家路に着いて、YouTubeで研究をすることにしよう……。そうと決めたら、早く家に帰ることにするのだ。

「最近、世の中が暗いな……」

 肌でそう感じていた僕は、間違いなく世の終わりが近づいているかの様な錯覚を受ける。いや、間違いなく来ているのだろう。僕はただ、そう思うのだった。

 大学で寮に入っていた僕は、一人寂しくご飯を摂ることにした。シリアルに牛乳と蜂蜜を混ぜたシンプルなもの。僕はこれを、一日に三食、摂る様にしている。大体、カロリーにして1,200だろうか。それに、学食を一食追加しただけの食生活である。

 人間これだけあれば十分に生きていけると思うのだ。

 考えてもみてほしい。人は赤ん坊だった頃、ミルクと流動食しか食べていなかった。本来、人間はこれだけ取れれば充分なのである。

 一日に必要栄養素は全部、摂れる。栄養は摂りすぎても意味がないと思っていて、必要以上摂取するから太る訳だ。

 海外には満足に食べれない子供達がたくさんいる。そう思うと僕の食生活はある意味、正しいのである。

 僕はシリアルを口の中に掻き込む。食べる前は、何か他の物を食べてみたいという誘惑はある訳だが、腹の中に入ってしまえば、満足する心が生まれる。これは人間の神秘的な部分だ。外国人はシリアルを食べる習慣がある。これはきっと、心に余裕を持たせたいからだ。だから、その為にコーヒータイムを設けているのだろう。

 人生には余裕が必要だ。僕がやっているこのことはとても合理的に適ったことなのだ。人間はご飯を楽しむ余裕なんてない。これは、きっとみんなが忙しいからなのだろう。

 それでも、夫婦二人でご飯を楽しんでいる、日常風景なんてものを見ていると、確かに羨ましいと思う。ただ、結婚していない人間にとってこの日常を覗くのは、ただただ苦痛でしかない。この夫婦二人はそれが分かっているのであろうか? 嫉妬と恨みを大勢から、自然に買ってしまっているのである。

 だから適齢期を超えても、結婚していない人間が可哀想である。

 聖書の黙示録にも、天国には十四万四千人の未婚の人しか行けない世界だと書かれている。イエス・キリストも独身であったし、パウロも結婚しない方が良いと説いている。

 そう思うと、独身者にも、何かしらの安らぎが訪れる。天国では多く、報われるのだろうか……。

 僕は大学生でありながらどこか、達観した考えを持っていた。

 宗教をやっているとこの様なことがよくある。これは、その人特有の宗教観に基づく思想なのだ。だから、批判してはならない。批判すると、その人は怒る。考えを否定されたら、誰でも怒る様に、宗教をやっている人間でも怒る訳だ。だから宗教をやっている人を怒らせてはならない。

 クリスチャンは、プロテスタントであろうが、カトリックであろうが、信仰によって生きている。だからその人の信仰を批判してはいけないのだ。

 それに、日本という国は信教の自由があるのだから。

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