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家事は無駄な時間?
山崎ナオコーラさんの「むしろ、考える家事」というエッセイ本を読んだ。
家事時間を「無駄な時間」とネガティブに捉えて、なるべく時短で効率良くすませようとするのって、なんか違うって冒頭にあり、あぁそうだよね!って激しく頷いてしまった。
いくら便利家電を使ったり、効率良い動きを工夫したりして時短してもね、その時間を無駄な時間と思っている限り、ネガティブな感情はゼロにはならないわけで。
例えば30分かかっていたものを3分にできたら、嬉しいっちゃ嬉しいけど、
「この3分を趣味や仕事に使えたら、人生もっと有意義に過ごせるのに!」という思いは完全には消えないものね。
「家事は結構な労働で、給料に換算したら〇〇円くらいの価値がある」と試算されて、だから家事に専念している主婦・主夫をもっと労わろう!的な話もあるけれど、それもなんだかしっくりこない。
だって、試算されたところで実際にお給料もらえるわけじゃないし 笑
家事の価値ってそういうことじゃなくて、もっと「生きること」と近くて、お金を稼ぐための仕事とはそもそも質が違うものなんじゃないかなと思う。
小さな子どもの世話、料理…家事には五感をフル回転させて、全力で「今」と向き合う瞬間が多い。
青菜を茹でていると、火が通ってパッと緑が鮮やかになる瞬間がある。その鮮やかさが褪せない内にお湯から引き上げる。色もきれいで触感も良い茹で上がりだと、ヨッシャ!と心の中で小さくガッツポーズ。
そんな些細な喜びや驚きを感じられる瞬間が、家事の中には実は多かったりするのだけど、「無駄な時間だ、早く終わらせよう!」としていたら気付けない感覚かも。
手を動かしながら考えをまとめたり、感情を落ち着かせたり、逆に作業に没頭することで無心になれたり…
そんな瞑想的な時間でもある。掃除なんて特にそうよね。
無心で床を拭いていたら、場が整ってエネルギー流れも良くなるんだから、無駄どころか結構お得な時間とも言えない?
…と、ここまで言っておきながら、家事、めんどくせー!誰かやってくれ!と思うこと、しょっちゅうありますわ。
でもいざ全部やらないですむようになったらね、しばらくすると、何か物足りない気がしたり、落ち着かなさを感じるようになるんじゃないかなぁ。
数日の旅行くらいじゃ解放感に溢れるだけで終わっちゃうけど、1ヶ月とか半年とか、長い期間で実験してみたいなー笑
自分の手で自分の生活を整えられることって、当たり前すぎて普段は面倒くささの方が勝ってしまうのかもしれないけど、失ってみて初めてその価値に気付くのかもしれない。
難易度の低い単純作業とか、毎日同じこととの繰り返しとか、価値が低いことと思われてるけど、実は日々の生活や社会や世界って、そういうものの方が多くて、そこが崩れたら全てが狂っちゃうんじゃないかと思う。
スマートさ、効率の良さを追い求めてきた結果、生きることが息苦しく感じるようになってしまったけど、まずは一番身近な家事を捉え直してみると、
また違った見方ができるようになるのかもしれない。
山崎ナオコーラさんの本、初めて読みましたが、普段ボンヤリと感じていたことやモヤっとしていたことを言語化して下さっていて、面白かった。
他の作品もぜひ読んでみたいと思う。