「古代オリエントの神々」 小林登志子
「フラゴナールのブランコ」
本書は古代オリエント世界の多神教の様相を俯瞰し、古代メソポタミアからギリシャ・ローマへの繋がり、果ては中国や日本まで射程の非常に広い書物である。
マニ教、ミトラス教やゾロアスター教など古代においては優勢であったが現代においては3大一神教の影に霞んでしまっている古代オリエントの宗教からは、今の中東のイメージとはかけ離れた興味深い文化を知ることができる。
私はユダヤやキリスト教文化の視点から聖書をよんできたが、その背景となるオリエントの宗教についてはあまり知らなかった。
おそらく、キリスト教の授業でこれを語ってしまうと聖書の独自性が薄れてしまうからであろう。私個人の経験ではあるが、あまり扱われないテーマであったと思う。
例えば、ユダヤ教では非常に有名な言い回しである、神を示す言い回し「アドナイ」(我が主)についても、外来の神話(タンムズ神話/アドニス神話)からの借用であるし、カインとアベルの話についてもメソポタミアに似たような神話が残っている。
本書のなかで最も興味深いのはブランコの宗教的な起源について論じている箇所だ。
だれしも幼少のときに遊んだことがあるブランコは、その起源において死者崇拝と豊饒祈願を意味する宗教儀礼であるという。この儀礼はオリエントだけでなく、インドやギリシャ、中国、朝鮮、タイ、ロシアにまで共通し、記述が残っている。ギリシャでは葡萄の揺れる様が、ロシアではブランコにのり揺れる女性のエロティックさが豊饒へのアナロジー(類比)となるようだ。それぞれに暦の吉日(夏至など)を選び、高くブランコを漕ぎ、豊饒を願った。
このようなブランコ本来の意味合いを考えると、フランス、ロココ期の名画、フラゴナールの「ぶらんこ(ぶらんこの絶好のチャンス)」もあながちこのような豊饒とエロテックさの系譜にあるのかもしれない。
また、東大寺の開眼供養に演じられた伎楽に使われている面の種類にはミトラス教の特徴的な位階(父、太陽の死者、ペルシア人、獅子、兵士、花嫁、烏)が反映されているという。キリスト教以前のローマで流行したにも拘らず、禁教となったミトラス教は、一部が呉に流れつき伎楽と関わりをもったらしい。それを学んだ日本人が恐らくミトラス教の影響とは知らず日本に持ち込んだのだろう。
あとがきの作者の父とのエピソードも含め、非常に読ませる著作である。