モノを捨てるということは、迷いを捨てるということである。

私は現在28歳なのですが、つい先日まで『中学高校の時の教科書、参考書』を捨てずに取っておいてありました。

学生の頃の教科書、参考書には特に思い入れも無いので、これと言って捨てるのをためらう理由は本来は無いのですが、いざ捨てようと思うと決断を迷う理由が出てきました。

それは、『私はもしかしたら今後学校の先生になるかもしれない』ということ。

実は私は教育系の大学を出ており教員免許を持っています。(今でも有効かどうかは分かりませんが…)

私は今営業職として民間企業に勤めているのですが、現代は転職が当たり前とされる時代。『いつの日か学校の先生、あるいは塾の先生に転職した時に、自分が使っていた参考書が使えるかもしれない』と、思ってしまったのです。

実際のところ、もし先生になったとしたら、自分が学生時代の時の参考書は使えると思います。当時の自分が何に悩んでいたのか、どういう勉強をしていたのか、という貴重な記録だからです。

しかし、この『もし先生になったとしたら』というのが自分の迷いそのものだったのです。

現在営業職として働いているのに、『もし先生になったら』ということを考えている時点で、自分のキャリアに迷い、悩んでいたということになります。

もし自分が今の仕事に満足し、転職など考えていなければ、『もし先生になったら』なんて発想そのものが出てこないはずです。

つまり、たかだか『学生時代の参考書』ですが、それを捨てるのをためらっていたということは、自分のキャリア、仕事に自信が無く、今後の進路に迷っていたということなのだと、これを捨てる時に気付けたのでした。

ここに気付けたことで、初めてじっくり考えることができたのです。『私は将来先生になるのだろうか?』と。そして出した答えは『ならない。』でした。

正確には、『先生になる可能性はゼロではないけど、別に学生時代の参考書がなくても先生にはなれるし、今やっている仕事に集中しよう。』と考えました。

ここまで考えて、初めて学生時代の参考書を捨てることができました。

将来の選択肢を削るということは一見良くないことのようにも思えますが、多すぎる選択肢は逆に選びづらくなって不幸の始まりにもなります。この時、参考書を捨てて本当に良かったと思います。

このように、たった一つのモノでも所持している理由、捨てられない理由を突き詰めていくと、自分の心の奥深くにある悩み、迷い、不安と向き合うことがあります。

だからこそ、それを乗り越えられた時、人は幸せを感じることができるのかな、と思った次第です。

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