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AO受験に落ちてから1年。この1年を振り返る。

あれから一年


最近、Twitterで大学受験の合否発表がちらほら流れてくるのを見て、「ああ、あの受験からもう1年か」と気づいた。正直、こういうのを真面目に書くのは苦手なんだけど、なんとなく書きたくなったので書いてみる。最近知り合った友だちにもあまり話してこなかった部分だし、記録しておきたい気持ちもある。

高校3年・10月


当時、慶應のSFCに向けて全力で突き進んでた。英会話サークル「0toOne」を学内で立ち上げたり、AIG高校生外交官にも参加したりして、「これだけやれば落ちないだろう」と密かに自信もあった。でも、結果は普通に「落ちた」。ワラ。正直、余裕だと思って学校のトイレで結果を見たけど、トイレから出るときはかなり気まずかった…。しかも、出た後に友達とかが俺が落ちたことを信じてなくて、それも気まずかったな。。。
結果は厳しくて、何回見ても「不合格」の文字。時効だと思うから言うけど、SFCに「何がダメだったのか教えてくれ!」ってメールまで送ったこともある。
この経験で気づいたのは、「これだけやれば受かる」っていう思い込みは、AO入試を目指す受験生の間では結構よくあることなんだなと。でも、その「これだけやれば」の精神が、若干18歳の高校生に「将来はこういう分野で生きていく!」みたいな志望理由を書かせるAO入試の仕組みに疑問を感じる。ぶっちゃけ、18歳の段階で「これが夢です。大学ではこれを学びたいし、将来はこんなふうに社会を変えたいです!」なんて書かせるのは、ちょっと無理があるんじゃないかとも思う。正直、自分がその波に乗れなかったからこそ、そう感じるのかもしれないけど。でも、理由も分からず不合格になった高校生のやるせない気持ちは、今振り返っても残酷だったと思う。

10月~2月


AOに落ちた後、他の大学を勧められることもあったけど、頑固な自分はそれを受け入れられず、SFCの一般受験を決意した。この期間はたぶん人生で一番勉強したと思う。でも結果はまたしても「不合格」。受験料返せよ!福澤諭吉!って本気で思った。
そこから色々な経緯を経て、今はマレーシアにいる。この期間で感じた変化は大きく分けて2つ。

変化1:SFCに落ちて正解だったかも?


もちろん、受からなかった悔しさが無意識に含まれているとは思うけど、それでもSFCに落ちて良かったかもしれないと思っている。理由は2つ。
1つ目は、「さまざまなコミュニティやしがらみから解放された」こと。
高校生の自分は、今思えば「入試のため」に動かされてたなと感じる。だからこそ、学校外の人たちともたくさん関わり、多くの経験をさせてもらった。もちろん全てが入試のためではなかったけど、入試があるからこそ惰性でやっていたこともあったと思う。
当時は、「大学受験が終わったら、どこで何をしよう」って、将来の仮決定がいろいろあったように思う。でも、「これでいいんかな?」っていう漠然とした不安も感じていた。だからこそ、落ちて強制的にそういった仮決定がリセットされたことが、振り返ると良かったのかもと思う。結果として、マレーシアという未知の世界に飛び込む勇気が生まれたんだと思う。
2つ目は、「マレーシアで出会う留学生との刺激的な経験」。
ここに来て本当に良かったと感じるのは、日本では出会えなかったような人々との交流ができたこと。特にあるアジアの国から来た友だちは、すごく刺激的だった。彼とご飯を食べたときに、国の中の状況を教えてもらって「今は国内が危険で、国内の大学に通えずにマレーシアに来た」と聞かされた時、海外の大学を選べる日本で育ったことに感謝を感じた。もちろん、SFCに行ったらそこでしか学べないこともあっただろうけど、今いる環境での学びもすごく刺激的だ。日本では感じられない社会の不安要素が身近に感じられて、世界が違う視点から見えるような気がしている。

変化2:自分の生活を楽しむ時間が増えた


高校時代はいろんなことをつまみ食いしていたせいで、自分の生活や普段の生活について考える時間がなかった気がする。でも、この国に来て約4か月、自分のことを考える時間が増えたように思う。
最初の1~2か月は授業とかいろいろな面で周りについていくので精一杯だったけど、ここ最近は生活に慣れてきて、自分の生活に向き合う時間が増えてきた。
具体的には、次の2つ。

  1. 自炊を始めた
    毎日ではないけど、結構な確率で自炊をするようになった。正直、料理は得意じゃないし抵抗もあったけど、日本食が恋しくて始めてみたら、意外とハマった。自炊中のゆったりした時間が心地よくて、ルームメイト(たけさん)とかダレルと一緒に食べながら話すのも楽しい。食事の場って大切だなと改めて感じている。

  2. ルームメイトとの会話
    今のルームメイトは日本人で、性格は違うけど話が合うし助けられている。セメスターも彼の方が先に始まっていたから、いろいろ教えてもらえたのはありがたい。あまり普段他者に対してこう思うことはないが、彼と出会えて本当に良かったなと思う。来年からは、もしかしたら僕が引っ越してしまうかもだけど、彼との関係は人生単位で継続できると嬉しいなと思っている。彼と話す時間は、その日やその週を振り返る大切な時間になっている。まあ、引っ越しても2週間に一回ぐらいはご飯行きましょね:)

最後に


1年を振り返って、「何が変わった?」と聞かれると、うまく言葉にできないけど、ジェットコースターみたいな1年だったと思う。マレーシアに来て最初の数か月は、人生に対してちょっと自暴自棄になっていた部分もあったけど、ある人とのオンラインでの会話をきっかけに「頑張りたい」という気持ちを取り戻せた。自分を応援してくれた人たちにも感謝の気持ちでいっぱい。もちろん聖人じゃないから、人としてできてない部分がめちゃくちゃ多いのは自分でも百も承知やけど。。。
でも、人との縁とか他者からの助けみたいなのにはめっちゃ助けられた1年やったなって。もちろん、高校のみんなにも、AO落ちてすぐに韓国料理屋に連れて行ってくれた小磯と松井にも、こっち来るまでめっちゃ遊んでくれたもっちーとかみんなに感謝してる!
強引にまとめるとすると、俺はあの時に自分の描いていた将来像が粉々にぶっ潰されてめっちゃよかったなと思ってる。もちろん、受かりたかった気持ちはあるし、今でもあの時受かってたら。。。とか思わんって言ったら噓になるけど。それでも、この国に飛び込んできて、いろいろ紆余曲折あったけど、自分が吸収できている学内外での学びはすごい自身を成長させてくれているなって感じる。
俺自身は自分の気持ちを上手く人に伝えるとか他者と仲良くうまいこと関わるとかがだいぶ苦手やけど、でもその中でも仲良くしてくれるみんなに感謝しているし、こうやって他者に感謝する気持ちみたいなのってあの時にAOに落ちたときに助けてくれたのが本当に響いたから、人に深いところから感謝できるようになった気もする。
まあ、めちゃくちゃまとまり悪いけど、こういう感じ!ごめん!言語化上達させます!


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