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この地球が滅亡したらいいのに、と思ってたころの話

今年はどこの小学校も夏休みが短い。9月1日が18歳以下の自殺数が1番多い、というのは今年は防げるのだろうか?コロナ禍で行きたいのに行けない、行きたくなくて行かなくていい、いろいろあるだろう

私が語学を勧める理由

私が語学を学ぶことを勧める1番の理由は、全く違う価値観を知るきっかけになることだ。

例えば、フィリピンでは9月になると、クリスマスの季節になったねーという。いや、本気で。

September というber で終わる季節が始まる、つまりDecember 12月のクリスマスに向けての季節が始まるということで、テレビでソリに乗ったサンタがCMに登場し、街にはクリスマス商戦が始まる。

約30年前にそれを聞いた時、え?日本なら夏休み終わって、これから運動会だの学園祭の季節があってからの、クリスマスやん、と驚いた。

一年中、夏のような常夏の国フィリピンには四季の移り変わりがない。国民の9割がクリスチャンの国でクリスマスは最大行事。9月はそのワクワクする季節の始まりなのだ。

つまり私が言いたいのは、常識なんて国が変われば、ふーん、それで?なんてレベルになることが多いということ。言葉を学ぶことで、自分の当たり前は決して世界中の当たり前ではない。だから、今自分の世界が苦しいなら、苦しくならない世界にいくことも可能という選択肢を知って欲しいのだ。

今は自由に海外に行くことが難しい。でも、永遠に続くわけではない。だから、行動が制限されている今のうちに準備をしておいて、その時が来たら羽ばたけるようになって欲しい。私が語学を勧める、根本はここにある。

ある日突然いじめられるようになる

小学3年生か4年生かの頃、担任の先生が産休を取り代わりの先生が来て、いきなり今でいう学級崩壊が起きた。

今ならきっと対応も違っただろう。40年前、学級崩壊なんて言葉もなかった。

ある日突然、クラスを牛耳る王様がやってきて、男子にはヒエラルキーができ、女子も彼のお気に入りと外れる者が分けられていき、先生は振り回されつつ、見て見ぬ振りだった。

最悪の王様になったガキ大将が選ぶいじめられっ子はすべての行動において責められていた。みんな自分がその対象になりたくなくて息を潜めてみていた。虐められた子の母親がその虐めている子に電話をした翌日には、さらに虐められていた。

だから、自分にその番が回ってきて、ことあるごとに文句を言われたり、机や椅子が蹴られても、靴や体操服が隠されても、黙っていた。親や先生に言えば大騒ぎになって、そしてさらに虐められる。ランドセルがその指揮者の元で忠実に動く男子によって踏み潰される。給食の際に、極端に多く入れられたり、少なかったりしても黙っていた。他の女子も巻き添えになりたくなら遠巻きだ、あるいは男子に加勢する。たった1人だけ私の味方になってくれた女の子がいて、その子だけで私は十分だった。地元の有名な医者の娘だった彼女はいじめの巻き添えに合わなくて、当時唯一の救いだった。

ある日、外から戻ってきて教室の戸を開けた途端に男子が走ってきて、顔や体中にマジックで落書きされた。学校で洗っても洗っても消えなくて、そのままで帰宅したら、母が激怒した。夜、案の定、その子に、学校に、先生に電話するという母に泣きついて頼んだ。もっと虐められるだけだからやめてくれと言ったのか、なんと言ったのか、よく覚えていないが、必死に止めたことだけは覚えている。この母を止めなければ、私はもっと明日から辛い目に合う、ということだけを恐れていた。

今なら学級崩壊とか教育委員会問題に

両親が教師で、非常に真面目で、当時は不登校なんて言葉はあったのだろうか、あったとしても許すような親でもなかった。

この頃、蕁麻疹が夕方になると出てきた。急激に太った。足も捻挫して、よく歩けなくなった。理由をつけて、身体は私を止めていたのだろう。

でも、明らかに熱がなければ学校に行かされた。水銀の体温計をお茶につけて温度をあげた。上げすぎて振って下げたら、下げすぎて、細工ができなかった。必死で身体の不調を探して、なんとか行かなくていい合法的な理由を探していたと思う。

最終、ガキ大将は担任の先生をベランダに閉じ込めて、隣のクラスの先生の知るところになり、全員校長室に呼ばれて、説教をされて、最終的に落ち着く、という結果になった記憶だ。

そのくらい当時は、閉鎖的だった。虐められているクラスが、周りの人間が私の世界の全てで、大人は両親、近所の人、先生くらいのものだった。

ひたすら呪い、その時間が過ぎるのをまった

顔中マジックで落書きされた時、告げ口したらまた虐められる、という恐怖で抗議の行動に動けなかった。でも、どこかでみかねてくれるんじゃないだろうかという希望もあった。プリントを教卓にいる先生のところに取りに行くときに、顔を見せて、こんなん書かれました、とぼそっと言った時、先生はフッと笑って、そのまま何も言わなかった。

私は、この大人に頼れないんだ、と知った。先生もそのガキ大将に随分てこずっていたはずだ。そして、私のSOSを冷ややかにフッと笑って流した。

もっと虐められろ、あいつの矛先がこの先生だけに向けばいいのにと、呪った。誰が対象になってもいい、自分でなければ。

だから、他の子にいじめの対象が向いたときは加勢もした。おべっかだって使った。私が虐められず、生き残れるなら、他の奴が虐められてもいいと思った。

とにかく、この苦痛の時間が過ぎ去っていくなら、なんでもいい、と思っていた。

この世に天国はない、でも世界は広い

その後クラス替えになり、平和な生活になった、ような気がする。いや、もちろん小さな人間関係のいざこざや、女子特有のハブリは中学に行ってもあった。

変わらず、虐められる側の時もあればいじめる側の時もあった。なにかと目立つタイプの私は、集団の中で異質なことが多かった。思春期にはそれが目障りで、なかなか平和な身にはならなかった。

ところが、高校になり、少し世界が広がるとずっと息がしやすくなる。英語を介して交友関係が広がり、英語の向こうの世界を知ることで、なんだ自己主張って悪いことでもない、国によって全く違う文化や風習があるということが、どれだけ私の希望となったことだろう。

この地球上に天国はない。どこにしあわせを感じるかなんて、自分の心の受け取り方次第、と今なら心から言える。

もし、あの頃の私が自分の存在を消す方法を知っていたら、消していたかもしれない。同じようなことに苦しんでいる子どもがいたら繋がったかもしれない。逃げる居場所がどこかにあれば、避難したかもしれない。でも、当時はそんなこと考えつくこともできない、無防備な子どもでしかいられなかった。

だからいつも、9月1日の子どもの自殺を防止しようとする活動も悲しいニュースも、同じく息を潜めて見つめてきた。いじめなんてなくならない。人が生きている限り、邪悪な心を持ってる奴はいなくならないし、集団心理は怖い。権力あるやつに逆らえなくて、加担する、空気を読むやつはどこにでもいる。それが生きていく術というものでもあろう。

選択肢があるという心の余裕

だから、心が辛い時は逃げたらいい。
逃げることを非難する奴なんて無視をしたらいい。あなたの心を1番大事にして欲しい。
そして、物理的に離れてしまえば、冷静にいろいろ考えられる。その時に、語学が使えたら、あなたの選択肢は倍々ゲームだ。ペラペラじゃなくていい、これがイヤなんだ、これが欲しい、好きなんだ、こんなことが得意なんだ、そんな気持ちを日本語以外でもなんとか伝えられるよ、全く違う文化の中でも、なんとか生きていけるかも、という小さな自信はあなたを助けてくれる。そこから道が開ていく。

自由に移動ができない、この閉塞感は人を追い詰める。自分より弱い人、正義を振りかざして、そうでない人を責める。そんなネガティブな人が溢れてくるかもしれない。だからこそ、外に目を向けてみよう。自分と同じ価値観や違った価値観で良い刺激を与えてくれる人はこの世界にはたくさんいる。半径3kmにいなくても、地球サイズで見れば、たくさんいる。

世間は狭い、でも世界は広い、ということを忘れないで欲しい。だから、私はあなたのペースで、あなたに必要な語学を身につけたらいいと伝えたい。あなたの魅力を世界に伝える選択肢の一つにして欲しい。

語学の力はあなたを裏切らない。

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すぎさん
世界平和は可能と信じてます💖