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通訳するとは垣根をさげること

現在NHKで放送されているサラダボウル。珍しく警察での取り調べ通訳人が描かれている。

この業界の通訳人は周りの人にあまりこの仕事をしていることを公言しない。なぜなら興味を持たれていろいろ聞かれても守秘義務だらけで、なにひとつ説明できなかったりするという面もある。

なので、親しい友人は初めてなんとなくどんな仕事しているのかイメージがついたよ、とか大変な仕事をしているんだね、と労われたり褒められたりする今日この頃。

通訳をするようになってなんだかんだ30年。もちろん通訳だけをしてきたわけではないが、この10年はフリーランスとしてがっつり取り組んできた。

私の場合は司法系だけでなく、映画の現場や教育、ガイドいろんな場面で通訳・翻訳をしている。1体1の現場もあれば、複数相手だったりコーディネーター的要素の高いこともある。その中で意識しているのは相手が理解できる言葉で話すこと。

通訳なんだから当たり前、と思うかもしれないが、言うと伝えるは違うと私はおもっている。なにかを話したからと言って、相手が理解していると思い込むのは奢りである。○○って言ったじゃない!とケンカになるようなことは大体このパターン。同じ日本語を話す者同士でさえ、わかりあえない事がどれだけあることか。違う言語であればなおのこと。

だからと言って、勝手に私の言葉を足すことは許されない。Aさんが
Bさんに伝えた言葉を正確に、そして伝わるように訳す。

私は通訳は垣根を低くする仕事だとおもっている。垣根が高くそびえていたら、垣根の外の人と中の人は意思疎通がむずかしい。もしかしたら何も聞こえないかもしれない。だからその壁を低くして、顔が見えてどんなことを伝えたいと思っているのかをするのが通訳人の仕事だとおもっている。

垣根の中の家に入ることも外の道に立つこともなく、間の垣根をせっせと低く、見通しよくする。そのことで両方のコミュニケーションがしやすくなること。それが私の喜びでもある。

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すぎさん
世界平和は可能と信じてます💖