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水を得た魚のフィリピン

水を得た魚、とは活動の場を得ていきいきとする様のことを言う。私にとってのフィリピンはまさにそれだ。

お仕事は?と聞かれるとフィリピン語の通訳を生業としております、と答える。でも実際のところ、通訳以上というか、通訳以外のお仕事もふんだんに入っていることをしている。なので時々、もうフィリピン何でも屋さんです、と冗談めいて答える。これは英語以外の言語の通訳さんあるあるで、その国にまつわることならとりあえず聞いてみよう、と降ってきた仕事をうけて、そうなっていくようだ。そして、私は心からその状況を楽しみ、そして喜んで受け入れる。フィリピンのことならなんでも聞いて、私ができなくてもそれができる人に繋げられる、とむしろけしかけるレベルだ。

だからよく聞かれる、フィリピンのどこがそんなに好きなの?フィリピンの何が良いの?と。

フィリピンとの出会いは学生時代。当時、長期休暇になったら住み込みで過ごしていたボランティア先のカトリックの団体が、フィリピンへの支援で渡航する際に誘われた。ほんのちょっと話せたレベルの英語だったにも関わらず、行くメンバーのバックアップを頼まれた。ボランティアだけど、旅費は出してくれると。行く行く!と二つ返事をして行ったマニラで私は、この場所知ってる、誰か知り合いに会うんじゃないか、という既視感を感じるほどにフィリピンに惹かれた。それまでバックパッカーとしてアジア、アフリカ、オーストラリアと行ったどの国にもなかった印象と感情。私の前世はフィリピン人かも、と本気で思った。

今ならわかる、今だからこそ言える、若かった私はずっと、”ここではないどこか”を探していた。自分にしかできないことはなんだろう?どうすれば、もっと強く、もっと個性的に、もっと自由になれるのだろう?と探していた。自己肯定感が低くて、劣等感に溺れまくりで、でももっと何か出来るはず、と期待も捨てなかった。海外に旅に出れば、全く違う見た目、考え方、風習、経済層に出逢う。出会う場所、職業、人、出来事に対して、これは好き、こんなのもあるんだな、面白いな、楽しみながらも、いつもここに住めるか?同じことができるか?と意識、無意識関わらず見定めていた。日本国内にいても、自分の場所はどこなのか、何をしたいのか、何ができるのか、探し続けていた。外に、外に求めていた。14カ国目にたどり着いたフィリピンで、この国の魅力に取り憑かれた。

スペインの植民地下300年を超え、教育や文化はアメリカ統治下の影響濃く、それでいて元々はマレー系の民族から始まっていて、でも経済は華僑の影響が多大な国。7000もの島々からなるため、言語も18を超え方言と言われつつも全く違う言語が存在する国。

私はこの国に出逢い、救われた。だから今の日本で生きづらさを感じている人には無条件で、いったんフィリピン行ってみて、と言いたい。

もし、未来に夢を描けないなら、もし今の状況が辛くて逃げ出したい、今の環境を変えたいのにどうしたらいいのかわからない。そんな風に思う人には、とりあえずなんの準備もしなくて、ただふらっと行ってみてほしい英語の力をつけてみようと、短期で語学留学に行くのもよし。疲れた心を癒やしに旅行に行くでもいい。

人は同じところで、同じ行動をしている限り、思考もループしがちだ。生活を、人生を変えたいとおもっているけど、その環境から抜け出すにはそれなりのよいしょ!というエネルギーが必要だ。ボロボロになっていると、もうそのよいしょ!と思い腰を上げる気力さえも失ってしまう。だから、そうなってしまう前に、騙されたとおもってフィリピンに行ってほしい。この世界から立ち去りたい、消えてしまいたいとおもったときに、思い出してほしいフィリピンに行ってみることを。


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すぎさん
世界平和は可能と信じてます💖