国籍とか年齢とか、あんまり意味がない区分け
娘の通う保育園では、異年齢保育をしている。異年齢保育とは年齢の違う子どもたちが同じクラスで過ごす保育スタイルだ。大きいお兄さんお姉さんはまるで自分の兄弟姉妹のように年下の子たちをよくお世話してくれて、年下から見ればそんな年長さんグループは憧れの的だ。
娘からも「〇〇ちゃんとあそんだ」と報告を受けるのは、年齢の違うお友達だったりする。
先日の保育参観では子どもたちの親が集合し、歌の発表を見学する機会に恵まれた。お兄さんもお姉さんも、小さい子も外国籍の子も、みんなのびのびピアノに合わせて自由に歌っていて、とっても楽しそうだ。
それをすかさず手持ちのスマホで動画におさめる親たち。子どもたちがそうであるように、親側も年齢や国籍は異なっている。でもみんな愛おしそうに我が子の雄姿を見つめていた。
先生の説明ではお外遊びではクラスはあまり関係なく、0歳の赤ちゃんから5歳のお兄さんまでごちゃまぜで思い思いに遊ぶのだそうだ。もちろん危なくないように最低限のルールはあるものの、恐らく子どもたちにとっては「違う」という区分の概念すらなく、一人一人の存在そのものがまるごと当たりまえのことなんだろう。
私たち大人はついつい「小さいからお世話してあげてね」とか理由を説明しがちだけれど、子どもたちは年下だからというより、その子が困ってるからお世話してるように見える。肌の色の違いも、違うことを当たり前と思うのではなく、何というか「違う」という概念そのものがないように見える。
いつから年齢とか、国籍の違いを認識するんだろうなー。違いの区分の概念がなければ、今よりもっと争いのない世界になるのかな。
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育児は、すごく学びが多い。少なくとも私は、ビジネスの比じゃないくらい学べることが毎日、毎時、毎秒たくさんある。
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