誠樹ナオ『薬膳の料理人〜馬鈴薯奇譚〜』第二話
中華ファンタジー「薬膳の料理人シリーズ」第二弾。以下前編の続きです。未読の方はぜひこちらからどうぞ!
(これまでのあらすじ)
大華帝国の道灌に勤める薬膳料理人の芦燕(ロエン)は、飢饉対策のために宰相の江(ジアン)に宮廷に招かれるようになった。首尾よく宮廷内に飢饉対策を検分する用の畑を与えられ、施策を進めることになったが、その畑が荒らされる事態が起きていると聞かされて──
「今のところ3件」
「……そこそこの数ですね」
1度目は半月ほど前。根菜類が掘り返されていたらしい。悪戯か獣害かと思われ、畑を囲む柵を作り直し、鍵をつけて、その時は終わった。
けれど、2度目は更に8日前。柵の鍵を壊され、再び畑が掘り返されていた。今度は広範に渡っていたらしい。この畑を管理している爺さん役人が、びっくりして腰を抜かしてしまったそうだ。
「エスカレートしていると言うのか……やることが悪辣になっていてな。3件目はつい昨日、畑に油を撒いて火をかけたんだ」
幸い、この辺りを警護している武官にすぐに発見され、大火になる事なく消し止められたらしい。
(誰が、なぜそんなことを?)
柵を見に行くと、出入りできるように蝶番で留められた部分が確かに壊されていた。何かの衝撃を受けたように地面に埋まっているはずの杭が外れ、杭と杭を繋いでいたはずの錠前が外れている。
「……人がやったとも思えますし、獣の仕業のようにも見えますね」
「獣が、ピンポイントで鍵のかかった部分を壊しにくるか?」
「獣を侮るものではないですよ。鍵がかかっている部分というのは、当然、出入りできるように作られていますから強度が弱いです。餌を前にした獣は、ちゃんと侵入しやすい場所を察知します」
「そういうものか」
(人にしろ、獣にしろ、侵入がここからだとしたら……)
考えながら、地面をしげしげと見つめていたその時──
「あ、いたわ」
公主様付きの女官が、こちらに駆け寄ってきた。本人は急ぎ足のつもりのようだが、太ましい身体を無駄に左右に揺らしてヨタヨタと少しずつ近づいてくる。
その視線は、明らかに私の方を向いていた。
(寿明様……だったっけ)
「貴女よね、鶴翼館の芦燕とかいう料理人は?」
「そうですが……私に何か?」
寿明様は、蒔絵の箱を持ってさらにいそいそと駆け寄ってくる。
「愛芳公主様から、芦燕に褒美を取らせるようにと言われたのよ」
「褒美……」
そういえば、芋餅をいたく気に入ってそんなことを言っていたような。
(……気に入ったのは、公主様ではなく犬っころのようだったが)
公主様ご自身は後宮を気軽には出られない。それで、許可を持つ寿明が遣わされたのだろう。
もしかしたら、彼女は侍女頭なのかもしれない。
「さ、受け取りなさい」
「……っ」
寿明様の開けた蒔絵の箱を見て、目を疑った。
「これは……白粉(おしろい)?」
「この白粉は殊の外、濃ゆく着くの。シミやアバタを隠すのに、後宮の侍女たちの間で人気の品よ」
「……」
その笑顔を前に、受け取ることができずに固まってしまった。
「貴女も年頃なのだもの。傷を隠したい時だってあるでしょう?公主様のご厚情よ」
「…………っ」
(意外と、目敏いんだな)
晒しの隙間からでも、傷痕が見えたのだろうか。私自身が傷を気にしているわけではないけれど、不快に感じる人もいるので普段はなるべく隠しているのだけれど。
……本来なら、喜んで受け取るのが筋だろう。
(でも、私は……)
この傷を恥じてなどいない。
いつだったか、蟠桃探しの山奥で江様が言ってくれた。
『この傷は勲章のようなものだな。その研鑽があったからこそ、こんなに美味いチャーハンを食うことができる』
あの言葉を思い出して、ぐるぐると考えが巡る。
そうかと言って公主様が白粉を与えようとしているのは、心底、善意に過ぎない。況してや、私のちっぽけな矜持で褒美を断れば寿明様の面子を潰してしまう。
(どうしたら……)
「ふーん……」
惑って平伏していると、それまで黙していた江様が横から手を伸ばした。
「困るな。女に身を装うものを与えるのは、男の役目と決まっている」
「は……?」
言葉の意味を測りかねていると、江様は口元だけでクスクスと笑っていた。
「え、あの、でも、その白粉は……」
「それより、寿明。聞きたいことがあるんだが」
白粉を掠め取ると素早く懐に入れて、江様が有無を言わさず話を変えてしまった。
(もしかして、話を逸らしてくれた……?)
「貴女は外邸への出入りを許されている。時折、犬っころの服を縫いに近くの尚服を訪れるだろう?」
尚服とは、衣服に関する仕事だ。
寿明様は、江様の御下問にイヤそうな顔を隠しもしなかった。
「……犬っころだなんて。そんな言い方、また愛芳様が拗ねてしまわれますわよ」
「そうさな。だが、連日この畑が荒らされて、ボヤ騒ぎまであったのは貴女も聞いているはずだ」
「そ、それは……」
モゴモゴと口ごもりながら、寿明様は無意味に目線を彷徨わせている。
「深い意味はないのだ。貴女が近くへ来た折にでも、気づいたことはないか?」
「さ、さあ……、そう、ね。どうでしょうか」
その反応に、江様が眉を吊り上げた。
私と顔を見合わせると、小さく頷く。
(話を逸らすために聞いたのかもしれないが……もしかして、これは当たりを引いたか?)
「その様子だと、何か知っていそうだな」
「そんなことはありません!」
「何かご存知なら、聞かせてください。大事なことなんです」
私も身を乗り出して目の奥を覗き込むと、寿明様は仕切りに視線を泳がせている。
「ですが、あの、私が話したことと人に知れましたら──」
「他言無用だ。約束する」
それでも、寿明様は何度も唇を惑わせた。
「江様の御下問ですけれど、でも……私が見たことなんて、関係ないと思いたいんですよ」
「構わぬ。寿明の話がどんなことであれ、公平な目で調べると約束しよう。結局、無関係だったとしても誰も貴女を責めはせぬ」
「はあ、でも……」
「何しろ、下手人どころか目撃者の一人すらいないのだからな。どんな話でも今は貴重な手掛かりなのだ」
「そう……ですか。江様がそうまで仰るならお話しします……」
寿明様は、それでも周囲をキョロキョロと見回した。
「こんな雨の中、立ち話もなんですわ。あちらへ参りましょう」
寿明様が指差したのは、畑近くの建屋だった。
──────
寿明様が案内してくれたのは、尚服の部屋だった。
侍女たちが、布地や被服を持って忙しなく出入りし、幾人もの縫い子が何かを塗ったり、行李に衣服を詰めて整えたりしている。
私たちにお茶を淹れ、一度ため息をついてから寿明様はやっと口を開いた。
「……わたくし、昨日の夜、桑氏の息子さんをここで見ましたの」
「桑氏の息子って……」
(友馬のこと!?)
口を挟みたくなるのをどうにか堪えて、寿明様の言葉を待つ。
「実は、わたくし、小白(シャオパイ)が死んでしまってから、よく眠れなくなってしまいましてね」
「小白?」
「公主様の前の飼い犬よ」
(あの黒いのの他にもいたのか)
江様が、労わるような笑顔を向ける。
「そういえば、もう亡くなって半月経つのだな。真っ白な人懐こいヤツだった。貴女も名残は尽きぬだろう」
「だいぶ気持ちは落ち着きましたけれど、まだなかなか寝付かれなくて。そんな夜は、ここで縫い子の仕事を手伝っていますの。大黒の服も縫えますし」
公主様の犬が、茜色の豪奢な被肩を身につけていたことを思い出す。と、すると、あの服も彼女が縫ったものか。
「それで、昨晩も大黒の被肩を縫っていましたら、窓の外で何かがちらりと何かが動いた気がしましたの。よく見てみたら、桑氏の息子さんが畑の近くで周囲の様子を伺っているじゃありませんか」
「見間違い……ということはないか?」
「まさか、見間違ったりはしませんよ。この辺りを往来する男の子なんて、そういるわけじゃありませんし……第一、はっきりと顔を見ましたもの」
寿明様の言う通りだった。
休んでいる父親の代わりに何かしようと、宮殿内をうろつく10歳前後の男子など、他にそういるはずもない。
「あの子が何かしたなんて、決めつける気はさらさらないんですよ。でも、今朝、畑でボヤ騒ぎがあったと聞いて、わたくしびっくりしてしまいましてね。誰にも話さずにおこうと思ったんですけど……」
「いや、よく話してくれた」
話しながらも、落ち着かない様子の寿明様の肩に江様がポンと手を置いた。
(友馬が夜中に畑に?)
何くれとなく厨房に顔を出し、まとわりついては手伝いたがる、あの無邪気な笑顔を思い出す。
畑が荒らされ、火つけまでされるこの件に関係があるとは思いたくなかった。
けれど──
(でも、それなら、友馬はそんな時間に畑で何をしていたんだ?)
嘘だ、と言いたいのをなんとか堪えて、私はあえて寿明様に笑顔を向けた。
「話してくださって、ありがとうございます」
「いいえ……」
心底、言いたくはなかったのだろう。
寿明様は困ったように微笑む。
「あの、眠れないのであれば牛の乳を温めて飲むと良いですよ」
「牛の乳を……?」
「ええ。気を鎮める効果があるんです。甘みや酒を足してもいいですね。紹興酒とか」
「そうなの?」
「もちろん、ほんの少しですよ」
念を押すと、寿明様は肩を揺らして微笑んだ。
「酔っ払って寝ちゃったら世話はないわね」
「過覚醒を起こす場合もあるので、ほんの少しです」
「分かったわ」
寿明様が頷くのを見ながら、私は友馬の左腕に巻かれた健気な晒しを思い出していた──
──────
寿明様が後宮に戻っても、江様は私を解放してはくれなかった。
「寿明の話に、間違いはなさそうだな」
「そう……ですね」
(考えたくない……友馬を疑うようなこと)
「あれ……」
友馬を目撃したという窓を見つめながら、何か違和感が過ぎった。
「どうした?」
「いえ……」
(なんだろう、何か今、窓を見て気になったのに……)
その正体の糸を手繰り寄せることができないまま、違和感は違和感のまま霧散してしまう。
「……それにしても、下手人の狙いは何なのでしょう」
頭を整理したくて、他のことを口にした。
「1件目と2件目はなんとなく理解できます。作物を泥棒したのかもしれないし、本当に獣害なのかもしれない」
「そうさな」
「けれど、昨夜の火付の件だけは明確に悪意がありますよね」
作物を掘り返して荒らすのとは、だいぶ様相が違う。
近くにこうして建屋がある以上、風向きによっては燃え移った可能性だってある。
「まさか、3件目は誰かを弑する目的があったと?」
「そこまでは分かりません。でも3件とも同じ下手人がやったのだとしたら、やることにバラツキがありすぎて、目的が不明瞭だと言いたいだけです」
「そうさな。3件目だけが人為的な犯行だとしても、目的が分からないのは同じだな」
「ええ」
江様は私をじっと見返した。切れ長の双眸に瞳の奥を覗き込まれ、思わずたじろいでしまう。
「少なくとも友馬に話を聞く必要がある」
「そう……でしょうけれど」
「其方、やってくれないか」
「私が!?」
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