【全文無料】掌編小説『はやる』小野寺ひかり
今月で1st Anniversaryを迎えた文芸誌「Sugomori」。6月の特集として、季節の掌編小説をお届けします。今月のテーマは『一周年』。書き手は小野寺ひかりさんです。
『はやる』
はやる気持ちを抑えようと、山本昭は自らの白髪頭に手をやった。
切りたての短髪が手のひらにわずかな刺激を生む。
人生は思わぬ出来事の連続だ。病魔に侵されたことを知ったときは、神も仏もあるものか、と運命を呪ったが今は己の中に存在する腫瘍こそ生きる糧ともいえるのであった。
余命は1年ーー。カルテから目を離さないで、若い医者は告げた。
「……隠すとかないんですね」
「隠すっていうのは、死ぬ病ということを?
そうですね。本人に知らせることが今は、ふつうですよ」
医者の声色はシンプルなものだった。知る前と後の居心地の悪さに、山本はショックを感じる暇もなかった。思わず、はははと乾いた笑いがこぼれる。
「あっけないもんだ」
「ここからですよ」
だが医者は少しの笑みも見せるつもりはないようだった。
「えっ」
「治療プランを立てねばいけません。ただお年のこともありますから、はっきり言ってどこまでやるか。お決めにならないといけません」
「はあ、家族はもうおらんのです」
カルテを読み上げたところで、ようやく山本は医師と目が合った。
医師の目の奥に、同情の色を探ったが、業務を忠実にこなす以上の何かを見つけることはできなかった。
「そうですか」
彼に命を預けたくはない、山本の直感が告げていた。老いた身であることも、山本を後押しさせた。無理に生きながらえる必要はない、冷たい他人の目にさらされるよりも自らの生死と向き合おうとそう考えていた。
それから山本は酒を断ち、健康的な生活を送るようになった。別の病院も探したが、最終的には科学療法を熱心に頼ることはやめていた。季節は廻りーー宣告の日から、とうとう1年を迎えようとしていた。山本は、久しぶりに病院へ訪れた。体の調子は以前と変わらないか、ますます元気になったように感じていたが、若い医師のまなざしも変わらないか、より冷たくなったようだ。カルテから目を離さず、医師は再び告げた。
「山本昭さん、驚かないで聞いてくださいーー」
山本は言葉を失った。レントゲンにうつりこんだ白い影は小さくなっていたという。まだ生きる希望があるのだ。山本は、胸の高鳴りを感じていた。もし、あと1年生きられるのならーー。
「先生、あれでいいんですか?」
患者を返した診察室で、看護師は若い医師に尋ねた。
「あれで、というのは。
レントゲンにうつった白い影について、誤った説明をしたことを?
そうですね、山本さんにとってはあれが正しい答えだったんです」
「はあ、でも」
釈然としない看護師の表情を、若い医師はじっと見つめた。
「今のはやりだそうですよ。己の病魔と闘う晩節。全ての病気に打ち勝ってきた人類ですから、死以上の恐怖などもう、いや、これも一種の病気ともいえるのでしょうが……。なんにせよ、こういうプランを提供する病院であることは、誰もがわかっていますよ」
看護師は困った笑顔を浮かべるばかりだ。理解を促そうとカルテを開き、一項目を指し示す。
「山本昭さんは申し込んだ記憶を消去しているんです。
この場合、本人にとっては真実として説明することが、正しいですよね」
「ええ、失礼しました」
看護師は、若い医師に頭を下げ、その場を立ち去った。
END
文芸誌Sugomori 小野寺ひかり
お題「一周年」
小野寺ひかりさんのsugomori寄稿作品
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