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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第七話 祭り前夜の焦燥3
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第七話 祭り前夜の焦燥3
「宇迦さん、なんですか……?」
何も確証はない。けれど、確信のようなものはあった。
問いを受けて、眉をハの字にした牛尾くんの見た目をした彼は暗い室内でキラリと瞳に緋色を宿す。
「さすが、勘がいいね。最初から気付いてた?」
くすくすと口元に手を当てて笑う仕草は、まさしく宇迦さんそのものだった。狐憑き、なんて言葉がふっと閃いてしまう。
「どうして、こんなことするんですか? 牛尾くんは、大丈夫なんですか?」
「じゃあ、ひとつずつ答えていこうか。まず、牛尾くんは大丈夫どころか、自分から僕に身体を貸してくれたよ」
「え?」
「この演劇が和泉の話を元にしていることは、もう気付いてるよね?」
小さく頷き返すと、話が早いとばかりに宇迦さんはまたにっこりと微笑んだ。
「牛尾くんは和泉の伝承にひどく関心があったから、当時を間近で見てた僕が懇切丁寧に教えてあげたんだよ。でも、教えてあげる代わりにひとつ条件を出した」
「それが、牛尾くんの身体を借りる、ってことですか?」
「そう。ついでに劇の内容を変えることの許可ももらったよ。健康面に関しては……まぁ、しばらく身体の所有権は僕にあるのと、僕が抜けてすぐは倦怠感が残るかもしれないけど、デメリットはそれくらいだから」
「あの三人に納得させた時も、何かしましたか?」
「わぁ、鋭いね。まぁ少しだけ、こちらの都合のいいようには術を使ったかな」
許可を得た、という事実を信じたい。それでも、多少のリスクを牛尾くんに背負わせながら身体を乗っ取り、他の仲間にも心を惑わすような術をかけた。
私は和泉さん同様、宇迦さんのことも知らないことばかりだけれど、そこまで強引なことをする人とは思えなかった。
「どうしてそこまでして……」
言葉を待つ私に、宇迦さんは重々しく口を開く。
「償い、かな」
「つぐ、ない……?」
「僕は元々、みすずさまの式神だったんだよ」
「え……」
薄っすらと、和泉さんとの会話が蘇ってくる。巫女だったみすずさんが、ご立派な式神を連れて退治にきたのだと、和泉さんが言っていた。
「式神って、宇迦さんのことだったんですか?」
「最初はそう。和泉を祓うためにみすずさまのお傍にいたんだ。でも、途中から僕の役割は変わった。ずっと厳しい修行ばかりでろくに自由のなかったあの人が、和泉の前でだけは笑うようになったからね。この笑顔を守ってみせよう、とただの式神ながらに願ってたんだ……雷神が来るあの日までは」
表情に出すことはなかったけれど、雷神と口にした瞬間、宇迦さんの周りの空気がぶわりと毛羽立った気がした。一瞬、怯みそうになりながら、確認のようにその疑問を口にする。
「……あの劇の中には、本当は宇迦さんもいるってことですか?」
「本当はね。でも、事実は一緒だよ。僕は彼女を守れなかった。だから、劇に僕が出ようが出まいが大きな問題じゃない。それよりも大事なのは、和泉の龍神として祀られた正しい伝承を伝えることだ。このままじゃ、生き残った和泉でさえも、僕は……」
「そんな言い方、まるで和泉さんがもうすぐ死んじゃうみたいな……」
「時間の問題だよ」
「!」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に肩が震える。今まで口調だけは穏やかだった彼から放たれた怜悧な言葉は、その場の空気をより固く、息苦しくした。
「熱心に探していた牛尾くんですら、あの小さな社を見つけられなかったんだ。和泉を和泉たらしめるのは人の信仰、人の想いだよ。それが途絶えれば、いくら小銭集めしようと意味はない!」
一音一音が肌に突き刺さる。初めて声を荒げた宇迦さんを、ただただ見つめることしかできなかった。
「これは千載一遇の機会なんだよ。正しく和泉とみすずさまの話を後世に伝えられる。じゃないと、もう時間がないんだ。もしかしたら最後の……」
「最後……? 時間がないって、どういうことですか?」
「言ったでしょ? 僕も元はただの式神なんだよ。今はまだ、みすずさまが残してくれた霊力と、みすずさまの家族が作ってくれた祠への信仰で身体を保てているけど。それも風前の灯火だよ」
「そんな……」
「これが成功したら、和泉の元に信仰が戻ってくるかもしれない。だからお願いだよ、和泉のお友達。あと一週間だけ、見逃してくれないかな」
……なんと、答えるのが正解だっただろう。何も答えられず、引き留めることもできない私の横を、宇迦さんはすり抜けて部室を出て行ってしまう。
私だって、和泉さんに消えてほしいわけではない。
だからと言って、牛尾くんたちが巻き込まれている姿を傍観するには、あまりにも知りすぎてしまった。
それに、宇迦さんがひどく無理をしているようで、それが私の胸を搔き乱すのだった。
結局、何もできないまま、たちばな夏祭りが明日に迫っていた。
宇迦さんの術の効果なのか分からないが、顔を出したリハーサルではこれ以上ない完成度に劇は仕上がっていたけれど。
「はぁ……」
「辛気臭い溜息吐くんじゃねーよ。手も止まってんぞ」
「すみません……」
明日からの祭りに向け、それらしく店を飾ろうと色紙でソフトクリームや夏らしいモチーフを作っていた。
しかし、どうにも宇迦さんと部室で話した時の苦し気な表情が脳裏を過って集中力に欠けてしまう。
「何だよ、気になることでもあんのか? あいすも容器も仕入れ注文はしたし、カラクリも調子良さそうだし、何も心配することねーだろ!」
得意げに胸を張る和泉さんは、やはりたい焼きを焼くこと以外はポンコツなようで、先ほどから色紙に折り目ばかりつけて作業が進んでいない。
「そこはこう折るんですよ」
ひょいと手を伸ばして、よれよれになった紙を手で伸ばしながら折ってみせる。和泉さんはわざとらしく、感心するように声を出した。
「ほぉ、なるほどな。で、次は?」
「次はこうして……って、私に全部させようとしないでください!」
和泉さんに乗せられそうになり、慌てて色紙を突き返す。ニヤニヤと笑う彼の姿に、ついまた宇迦さんの声が耳の中でこだまする。
──和泉を和泉たらしめるのは人の信仰、人の想いだよ。それが途絶えれば、いくら小銭集めしようと意味はない!
最初にこのたい焼き屋に来たのは、おじいちゃんのこの借家を使ってもいい、という誘惑が始まりだった。半ば和泉さんに流されるようにたい焼き屋の手伝いを始めて……でもその中で、口は悪いけど和泉さんに背中を押されて、少しずつ昔の自分を取り戻せた。
新しいメニューも作って、代理店長というふわふわした立場でも、やりたいことをやらせてもらえて。そしてやっぱり、自分のやりたいことはこれだと確信を持てた。
どれもこれも、和泉さんが支えてくれたから。私は神様のことなんて全然詳しくないけれど、和泉さん自身が消えたくないと足掻いているのだから、今度は私がそれを手伝ってあげたい。
「お前、最近ずっと難しい顔してるよな」
「そうですか? 和泉さんこそ、明日はかき入れ時なんですから前みたいに急に倒れないでくださいよ」
「なんか最近は調子いいんだよ。お前が鳥居作ってくれたおかげかもな」
どこまで本気か分からないけれど、いつもより少しだけ優しい声音だった。
そう言われてみると、あの日から体調が悪そうな様子を見たことがない。むしろ、家の中で時折眼鏡を外した時に見る瞳は、以前よりも輝きを増しているような気さえした。
「あの鳥居でも、力になってるんですか?」
「想いの大きさと見た目のしょぼさは比例しねーってことだな」
「しょぼいとは思ってるんですね……」
「そりゃ、昔の社に比べたらな!」
和泉さんは手を振りあげて、昔の社にあった鳥居の大きさをジェスチャーで教えてくれようとする。嬉しそうに話す様からは、確かに立派な社の情景が瞼に浮かんだ。
「今はこんなになっちまったけど、もし昔みたいに力があって土地にも縛られず自由にあちこち飛んでいけたら……ってたまに思うよ」
「え、飛んで行っちゃうんですか?」
「悪ぃかよ」
「だって、一応土地神さまじゃないですか。長生きしたいのもその土地を見守りたいから、とかじゃないんですか?」
劇でみすずさんとのやり取りを見て、つい彼女との約束を果たすためにやっているのかと思っていた。しかし、和泉さんはキョトンとした顔をして、次の瞬間には盛大に笑い始める。
「その通り! 俺はあくまで勝手に祭り上げられた“一応”の土地神なんだよ。守るなんて柄じゃねーって、お前も分かってんだろ?」
確かにそうだった。演劇の中で見た和泉さんも、好きで暴れていたし、好きでみすずさんと一緒になった。それを雷神に邪魔されて、怒りのまま喧嘩して、結果村が豊かになったにすぎないのかもしれない。
「じゃあ、どうして長生きしたいんですか?」
「そんなの、おもしれーからだよ!」
ビシッと指を突き出され、あまりにもシンプルな回答に言葉に詰まる。
「この前行った病院なんて、見たことねーカラクリしかなかっただろ? それに、たい焼きは冷やしても美味しくなるなんて、お前が作るまでは考えもしなかった」
「つまり……?」
「長生きすればするほど、世の中にはおもしれーもんが増えてくんだよ。それを味わえずに死ぬなんてもったいねーだろ?」
「な……ふっ、あはははっ!」
その答えはどうしようもなく和泉さんらしかった。笑いを堪えきれなかった私に、和泉さんはふんと胸を張る。
「だから、もしもっと力を取り戻せたら、俺はまだ自分が見たこともないような菓子を片っ端から食べる旅に出る。で、満足したら戻ってきてやるよ」
「えっ」
「戻ってきたら、そのありがた~い俺の知識でお前の冷やしたい焼きよりおもしれーたい焼き作ってやるから期待してろ」
まさか、そんなことを考えているなんて思わなかった。
未だに洗濯機も使えないくせに、和泉さんはずっとずっと先の未来を見ているらしい。私の何百倍も生きていながら、その好奇心は尽きることがないのだろうか。
そしてまたふと思う。和泉さんのその夢に向かって旅立てるのはいつなのか。どれくらいの旅の期間を想定しているのか。
その間も、ずっとこちょうは彼の帰りを待てるのだろうか、と。
「私だって、和泉さんには負けませんよ」
いつの間にか、ずっと靄がかかっていた胸の内に一筋の道が拓けていた。
それが正解かどうかは分からない。けれど、その道の先には未来が見えた気がした。
次の第八話は最終回!
12月に公開予定ですので、お楽しみに!
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Sugomori 2021年11月号
「暮らし」をテーマにさまざまなジャンルで活躍する書き手たちによる小説をお届けします。 毎週月曜・木曜に新作を公開予定です。
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