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【全文無料】掌編小説『5月』小野寺ひかり

Sugomori5月の特集として、季節の掌編小説をお届けします。
今月のテーマは『若葉』。書き手は小野寺ひかりさんです。

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小説「5月」

 典子はパソコンを膝の上に乗せ、行儀の悪い姿勢で仕事をしていた。なかなか進まない原稿に、ため息をつく。分かっているのに、一向にキーボードをたたく気が起きない。やるといったのは典子自身なのに、ムラッ気は彼女の弱点だ。

 催促メールが来ているのではないか、怖いもの見たさで典子は青いスマホを取り出した。まだ来ていないことにほっとしたのも束の間、内心は複雑な思いに包まれる。来たところで何も完成はしておらず、来ていないことで、罪悪感が薄らいでいくような気持にもなる。

 無意識のうちにSNSをみると、酒をかっ食らう詩人が話題に取り上げられていた。たしか「火の車」なる飲み屋をやっていたはずだ。名は体を表すのだろうか、まさに赤字経営だったと聞く。あまりにもおいしそうな横顔に典子の喉はごくりとなった。冷蔵庫には1本の缶ビールがあったろう。いや。キーボードを叩かねば、典子の台所事情もひっ迫してしまうだろう。

 典子には弱点が多い。車窓から新緑の山々を眺め、川のせせらぎに目を奪われてもそのあとに三半規管の乱れを感じる。夕日を見ればあまりのまぶしさに自身の色素のうすさを思い出したりする。

「大きくなるだろうなあ」とぽつりつぶやく。
 明け放したカーテン越しに、5月の風が庭に伸び放題の雑草をなでていくのが見える。土だけが残された植木鉢にも風に乗って何かのタネが運ばれていたらしい。猛暑の草むしりを思いやった。ならば今こそ除草の時では。それは嫌。典子は立ち上がることを嫌がり、ようやくキーボードを叩きはじめた。

お題「若葉」
文芸誌Sugomori/小野寺ひかり

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