【全文無料】掌編小説『年末の年始のご予定は』中馬さりの
今月のオンライン文芸誌「Sugomori」は特別号です。書き下ろしされたどの作品も無料で読むことができます。書き手は中馬さりのさんです。「大晦日」をテーマにした季節の掌編小説をお届けします。
「私、年末年始って嫌いなんだよね」
今日で仕事納めという昼下がり、先輩は何でもないことのようにさらりと言った。目の前にはもう少しで食べ終わる塩鮭定食がある。僕の刺身定食もあと少しだ。それで――やばい、何の話をしていたっけ――記憶を必死にさかのぼったが、それすらもバレていたようで、慌てる僕を見て先輩はクスリと笑った。
今年の秋に中途採用で入ったのは人数の少ない中小企業で、既にできている人間関係に馴染めるのか、正直なところ不安だった。そんな僕を見抜いてか、彼女は何度かランチに誘ってくれて、給料日には“先輩だから”とおごってくれた。おかげさまで12月半ばに差し掛かったころには、不安な気持ちはすっかりと消え失せ、我ながら会社に馴染んだと思う。先輩と当たり前のように近くの定食屋の日替わりメニューについて共有するほどの仲になれたことも、僕としては嬉しいことこの上なかった。それで、何の話だったっけ。年末年始が嫌いなのか。
「いや、なんか、ぼーっとしちゃって。年末年始、仕事も休みになるのに、嫌いなんですか」
「12月そのものは忙しいけど、確かに、休みにはなるね」
棘のある言い方だ。本当に嫌いなんだろう。
「休みにはなるけどさ、あれが出てくるじゃない。年末年始はどうするんですか~。地元に帰るんですか~ってやつ。あれが嫌なの」
「あ~、よくある会話ですよね」
そういえば、お昼にでる前にも部長に言われていた気がする。
「そう。それで、年末は帰りますっていうのがよくある返事でしょう。むしろ帰らないとでも言ったら、親御さんが寂しがるとか、親不孝だとかって話になるじゃない。でもさ、みんな少なからず地元に不満があったから上京して、今の生活を確立してるんじゃないの? 1年間のうち360日を費やすくらい心地いい居場所があるのにさ、どうして年が始まるってだけで地元に帰らなきゃいけないのかしらね」
塩鮭定食の残りをパクパクと口に運びながら、たたみかけるように話す。こっちなんて見てすらいない。それほど、気を使っているんだろう。僕からすれば寂しがるとか親不孝とか言われても特に何も思わないけれど、先輩にとってはそういわれてしまうこと自体が不愉快なのだと思った。
「しかもさ、これって仲が良ければ良いほど話題にでるでしょう。初対面の取引先との商談じゃあ、話題にならないじゃない。でもほら、例えば上司とか彼氏とか、プライベートも近いような感じになると逃げられないわけよ」
「言われてみれば、結構めんどうくさい話題かもしんないすね」
彼女が一息ついたタイミングで否定も肯定もしない返事をすべりこませ、刺身定食の残りを頬張る。
「ちょっと、何笑ってんのよ」
「え」
笑っていたんだろうか。そんなつもりはなかったのに。
「すみません。でも、ちゃんと聞いていましたから、僕が年末年始の予定を聞くことはないですよ」
わざとらしく眉間にしわを寄せる先輩を、どうにかフォローする。僕の発言はあながち間違っていなかったようで――もともと本気で怒っていたわけではないだろうけれど――先輩はよろしくと笑ってくれた。思いのほか縮まっていた距離と、これからも関係性が続くような空気を感じて嬉しくなる。年末年始も悪くない、と僕は思った。
文芸誌Sugomori 中馬さりのさんの掲載作品はこちら▼
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?