【無料】中馬さりの『真犯人の足跡』前編
「すべての探偵が自ら事件に首を突っ込んでいるとでも思っているのかい」
その声は静かで淡々としたものだったが、周囲が凍りつきそうなほど威圧的だった。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、涼し気な奥二重の目元。日本美人とはまさしく彼女・御剣京子(みつるぎきょうこ)先生のことを指した言葉だろう。
そんな彼女にこれほど拒絶されたら脊髄反射で謝りたくなるのだけれど、僕・羽崎透(はねざきとおる)は彼女の助手だ。ここで引き下がるわけにはいかない。
「わかっていますよ。今回の話はお金になるわけでもありませんし」
僕はカフェラテを先生の前に置いた。
こだわりぬいた牧場直送の牛乳を丁寧と泡立て、先生お気に入りの豆を使った珈琲とあわせた渾身の出来。ラテアートはまだ未熟だけれど、名探偵でありつつ美食家な彼女がこのカフェラテの味に納得しないはずがない。
先生はちらりとカップを見ると、すぐに手を伸ばす。さすが、僕。なんとか彼女が席を立つのを阻止できた。まさか名探偵助手にシェフのような技術が必要になるとは思わなかったけれど。
「とにかく1度、聞いてください」
僕は彼女に事のあらましを話し始めた。
――御剣探偵事務所がある東京都折江市(おりえし)はこれといって大きな特徴のある場所ではなかった。
都会からもほど近く、かといって住宅街ばかりというわけでもない。ぽつりぽつりと教育機関はあるが、パッとしないところ。
だからこそ、少しでも問題があればそういう土地だと認識されてしまう。
不良が多いと言われればそういう市に、天才子役でも現れれば子供の教育にいい市だと言われる。
そんな言葉にできないプレッシャーを抱えた折江市に浮上したのがホームレスの増加問題。
折江市には東京都を流れる川が流れており、その河川敷がホームレスの溜まり場となりつつあったのだ。
このままでは、折江市がそういう市だと扱われてしまう。
しかし、追いだしたとしても根本的な解決にはならないし、市民としてお互いに歩み寄るべきだという意見もある。
そもそも彼らは折江市に流れ着いただけであり、市民なのかどうかも判断しにくかった。
そんな硬直状態を見かねて、市長の娘である篠宮麗奈(しのみやれな)が慈善活動を始めた。
始めた当初は「危険だ」とか「お嬢様のきまぐれ」、「偽善的」といった声もあったが、“旦那”と呼ばれるホームレスの代表的な男が彼女に根負けしたことをきっかけに距離が縮まったという。
“旦那”は日本人にしては珍しいほど体格のいい大男。
だからこそ、彼も「自分がでていけばその辺のお嬢様なんて黙る違いない」と思っていたらしい。
だが、篠宮麗奈にとって体格なんて取るに足らないことだった。
ひるむことなく理想を説き、関係性を築いていった。
さらに、近隣学校のPTAと協力関係になり、子ども達の交通路の安全維持や野外学習をサポートさせる形で交流場所を確保。定期的な炊き出しは助け合いの精神を学ぶ場として歓迎された。
ホームレス側の中心に“旦那”を据えたことも大きい。あっという間に、理想的なコミュニティを作り出してしまった。
篠宮麗奈は良くも悪くも台風のような人で、まわりをガツガツと巻き込んでいく。僕だって、市役所で暇そうにしていたという理由だけで彼女に話しかけられ、気が付いたらなぜか炊き出しに参加していた。
まあ料理は嫌いじゃないし、ホームレスの人達や近隣住民も喜んでくれる。自然と御剣探偵事務所の宣伝にもなるから、いざという時に役立つかもしれない。
そんな風に、彼女と絡むと「悪くはない」「まあいいか」と慈善的な人間になってしまう。人を適材適所に配置するのが上手いというか、生まれもったカリスマ性なのだろうか。
いつしか「彼女に任せれば何でも上手くいく」という噂が広まった。
少し話はそれるが、次の市長選挙で篠宮麗奈は父親の代わりににも立候補するらしい。
ホームレスの面々は折江市民として投票券を持ってはいないが、問題をよりよく解決したという功績は大きいし、PTAの印象も含めると次期市長は彼女で間違いないだろう。
彼女よりも年上の立候補者たちは親子二代に渡り市長の座を独占されるわけだから面白くないかもしれないが、仕方がない。
そんな最中、事件が起きた。
ホームレスの人達がたむろする河川敷の先で、篠宮現市長の秘書が死体で発見されたのである。
発見された場所から最も近かったのは“旦那”が暮らす段ボールの家で、距離としては600mほどしか離れていなかった。
状況から見て“旦那”が重要参考人として連行された。
彼は無実を訴えている間に、警察は調査で以下の事実を明らかにした。
1.篠宮現市長は仮設住宅の設置や市民権授与を含めたホームレスらの折江市住民化を進めていた。
2.それらを“旦那”が代表として聞いていた。
3.しかし、市民権授与には時間がかかり、次回の市長選には間に合わず持ち越されてしまう。
4.それを篠宮現市長の秘書が“旦那”に伝えにいくと告げた後、行方不明になっていた。
5.殺害されたのは発見の2日前、断続的に続いていた大雨がやんだ頃。
6.現場近くの粘土質の地面に足跡が発見された。大雨の後、カラリと晴れた日が続いたことで、ハッキリと認識できた。
7.足跡は大きく、サイズは“旦那”のものと一致した。
そういえば、2日前はここ最近では類を見ない大雨だった。
炊き出しもできるような状況じゃなかったし、ホームレスの彼らも家の補強にかかりきりだっただろう。
仮に家から600m先で殺人が起きて気づくのは難しいだろうし、殺していたとしても誰にも気づかれず家に戻れる。
僕個人としては“旦那”が殺人を犯すとは思えなかった。
市民権授与が先延ばされるのが悔しかったとしても、今のところ、次回の市長選は篠宮麗奈が圧勝だろう。
そもそも、もともとあった市民権を捨ててここに流れ着いた人達なのだ。そんな動機ってあるだろうか。
ただ、世間の目はそうじゃない。
まだこの件は公になっていないが、どことなくホームレスがやったんじゃないかという疑いの空気は流れている。
いつもの篠宮親子なら先陣をきって否定するだろうが、有能な秘書を失った打撃が大きかったのかもしれない。
なにより、サイズの一致した足跡がかなりの影響力をもっていた。
状況証拠が“旦那”を犯人と言っている。
やつれた様子の篠宮親子に、僕は何も声をかけられなかった。
冤罪なら冤罪で無実を暴いてあげたい。
彼がもし犯人だとしても、もう少し公平な処置を求められるのではないだろうか。
――ここまで話し終えて、僕は先生を見る。あれだけ言っていたけれど、結局、黙って聞いてくれるのだ。
そんな僕の気持ちを予測してか御剣先生はニヤリと笑いながら「君は私の専属シェフだと思っていたんだけどな」と言った。
思わず「僕は探偵助手です!」と言い返す。
からかっているのは声色から明らかだったが、気にしている部分をつつかれちゃあ、見過ごせない。
「どちらにせよ君のプライベートに首を突っ込むつもりはないよ。ただ、冤罪を見過ごしたら夢見が悪い」
「冤罪……! やはり“旦那”は無実なんですか」
先生にそういわれるだけで、自分の“旦那はやっていない”という希望が確信に変わる。
「犯人が誰かはともかく、彼が無罪であることは間違いないね。警察もすぐ気付くだろうから、私がでしゃばる必要もないと思うけれど」
御剣先生はソファーから立ち上がり、近くにあったコートに手をかけた。
(続)
後編は2021年3月1日(月)予定です。
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